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『デデの愛』に投稿された感想・評価

kyoko

kyokoの感想・評価

3.9
「デデ」って、てっきりディナの愛称だと思ってた。
スヴァン語で「母」という意味だと知って、鑑賞後の感想がちょっと変わったかも。

心は死ぬまでゲギのものだけど、息子のためには男の庇護が必要なんだもの、仕方ないじゃない?
「都合のいいときだけ伝統をつかう」男たちとタイマン張るにはこれぐらいじゃないとね。


ディナの強さと美しさが際だつ、これは女が主役の映画であることは間違いないのだけれど、古い因習が染みついちゃってる(あるいはジジイたちに染みこまされている)男たちの、愛した女に愛されたいだけなのに!という声にならない叫びが聞こえてくるようでなんだか切なかった。
いやもちろん誘拐婚は論外だし、そこは同情の余地なしだけど。

それにしても、子どものかわいいこと!
「馬に乗せろー乗せろー」「靴下はこっちから履かせて」
沐浴の水が顔にかかるときの表情とか本気の寝息とか、演出無用の超自然なリアクション満載で、出てくるたびにぐんにゃりしてしまった。
女の子も天使だったなあw
小

小の感想・評価

4.0
岩波ホールの「ジョージア映画祭」にて鑑賞。チラシのあらすじは次のよう。

<1992年、コーカサスの峻険な山々に囲まれた村で、デデの挙式が行われようとしていた。しかし彼女は夫となる男の親友と愛しあっていた。村の定めた結婚に抗い、彼女は愛を貫くことを決心する。雄大な自然のなか、因習と闘う女性を描く感動の物語。>

でも主人公の名前はディナで、この人がデデ? 愛称かな?と思いながら観ていて、終映後パンフ代わりに売っていた「資料」を買って読むと<デデはスヴァン語で母を意味する>とあって、ちょっと困惑。だって話の半分以上は内容のほとんどはスヴァネティ地方の伝統と因習による女性の悲劇だったから。

監督の祖母の実人生に基づいていて、しかも映画内のドラマは創作ではなく事例によるらしい。女性がモノとして扱われ、ムラの中で重きを置かれるのは人間の尊厳ではなく、掟であり、メンツ。だから掟を破り、メンツをつぶす者には極めて不寛容。

本作にも出てくる誘拐婚は、同じくジョージア映画の『花咲くころ』で観たし、児童婚はパキスタン映画の『娘よ』やイラン映画の『ソニータ』でも観た。この映画が示しているようなことは、今なお、多くの地域で続いているのだろうと思う。

愛なしで作られた夫婦の支え、拠り所が「デデの愛」ということなのかもしれないけれど、愛のない夫婦の子どもって…と考えると「デデの愛」でめでたし、という話では決してないのだと思う。

●物語(50%×4.0):2.00
・原題は「デデ」と母そのもので、母の強さに男が甘える社会構造みたいなイメージが思い浮かぶ。

●演技、演出(30%×3.5):1.05
・普通に良かった気が…。

●画、音、音楽(20%×4.5):0.90
・ジョージア映画は大自然の美しさがウリかも。
内容的に大作! これは岩波ホールジョージア映画祭前半の天王山。
“世界映画の良心”ジョージア物ばかり観てると、3要素が癖になっちゃってヤバい。
❶ 因習から受ける苦しみ
❷ 戦争の傷と重み
❸ 美男美女

さて、美貌ヒロインのキャスティングはまったくいつものことだが、本作ではゲギ役イケメン(の表情演技)がすっごく効いてる。で、前半だけで終了したとしても余裕で秀作確定の感じ。
その、カクテイ後の、つかのまの幸福場面──柿色の魔法!──がまるでマッターホルン似(槍ヶ岳以上)のカツーンと尖った頂上みたく映像的にも幸(さち)マックスで、観ていて「え、このモードでまったり行くの? 続けるんなら、悲劇がもうちょい欲しいんですけど」と罰当たりな予感を温めた矢先に、前半以上のえげつなさで劇(はげ)しさが走りだす。ついに出ちゃった誘拐婚の実相とか。正視できないほど。や・め・て。。。

すぐに暴力や威圧に頼る自分勝手なキチガイ男たちは、滅べ。としか後半全体通して思わず。鑑賞後感きわめて悪し。一切パワーをくれないキリスト教の標語(神の赦しとかアーメンとか)をはじめ、世紀にかかわらず全世界がずっとデタラメであることを美しい景色とともにおごそかに示唆しまくる内容。
原題直訳が「母」であることからいっても、この映画の中にまともな情は息子とディナ(ヒロイン)との間にしか結局なかった。薬持ってきてくれたぐらいじゃ観客の心は男を受け入れない。にしても、ディナ役の女優さんの肌、白すぎじゃない??
人類普遍のアホデタラメと闘う「ジョージア映画+ホドロフスキー」、これこそが2018年今日この頃の私たちにとって律儀に真剣に確実に必要なテキスト!



ちなみに、書こうかどうか迷ったが、、、
この映画終了直後、私の遠くで何やら男性二人の言い争いが湧いた。前後関係聞こえなかったが、どうやら(飲食禁止のホールなのに)上映中に音立てて食事したことを咎められてたみたいだった。そして咎められた者は「うるせえ!」とか「ギャー!」とか逆ギレしてた。何者だろう、とそっちへ私が顔向けた頃には騒ぎも終わってて人もあらかたいなくなってて年格好も何もわからずじまいだったけど、その男、いったい97分間でこの映画から何を学んだんだろう。そもそも何しに来たんだろう。日本でのたった数回の上映機会にこんなこと起こったって監督さんが知ったら必ず悲しむよ。成長してください。