『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』(2018)
この映画が「アメリカ」という国だけじゃなく評価されるべくしてされてるんだなって思った
SNSの時代が生み出す『承認欲求』
それを中心とした自己満足感や虚栄心・自己陶酔・錯覚を追体験できる映画だと思う
なんなら教材みたいな作品
Twitter・Instagram・YouTube・TikTok などなど便利なSNSがもたらした功績の裏には
『肥大した自己』を毎日生み出し続けてる
情報活用を超えて「他者の評価(いいね)」を気にする世界が常に隣にある
「評価(いいね)こそが自分の全て」
と錯覚する病的な領域も現実にはある
映画のキャッチコピーにある
> "いいね!" の数は、わたしの評価じゃない
これがズシンと響く
映画はティーンエイジャーがメインだけど現実はティーンに留まらない
芸能人もYouTuberとして活動するくらい個人の動画は最盛期なんじゃないかと思う
主人公 ケイラは常に「現実」で自己を肯定できないでいるから「ネット上」に肯定を求める
柔らかく表現すると
「リア充を求める」けどそうはなれず一向に「陰キャ」なまま
ケイラは学校でスクールカーストの上級にいそうな人物達と関わって背伸びをしてみる
上手くいかないからこそ自己肯定感も とにかく上がらず低いまま
葛藤を胸に抱えて鬱々とした日々が進行していく
他人に対しても 特に一番の理解者である父に対する突っぱねが顕著に現れる
言うならば 思春期特有の「自立」と「依存」の狭間の「甘え」が受け取れる
興味深いのはケイラのアップロードしてる動画
内容は『自己啓発』で相手に対して喋ってることがまるでブーメランのように全部自分に返ってきてる
常に目線を高く保つも 現実は
"ありのままの自分" と "なりたい自分"
に大きなギャップを感じ「孤独」がどんどん押し寄せる
誰かの期待(いいね)に応える人生を
生きている実感をどうすれば感じられるのか
懸命に模索し続ける
だけどケイラはやがて自分の人生は誰かから受ける評価が全てではない
「ありのままの人生でいい」
と身近な父を通して気付く
見知らぬ周囲の期待に無理矢理応える必要もないし 背伸びをする必要もない
自分なりの「幸せ」を追求していく人生に向かって歩んでいく
過去がつまらなくても未来に向かってしっかり一歩ずつ前を見据えて進んでいる
「今起きていることがこれからも起きるとは限らない」
という気持ちの切り替えをしっかりしている
はたまた
「環境や物事も刻々と変わっていく中で次に何が起こるかも分からない」
という漠然とした不安を体験すること
それを通して人生を楽しむこと
そこにしっかりとした希望を見出すこと
そんな生き方が「自分」を「周りの人」を笑顔にして
そして自分なりの幸せを見出していくことを理解する
この先の成長したケイラはどのような大人になるんだろうか
等身大なケイラの自分へのメッセージにはホントに心を打たれた
>クールでいてね
>あなたになるのが楽しみ