ワンコ

アクト・オブ・キリング オリジナル全長版のワンコのレビュー・感想・評価

5.0
【人の心の闇に触れる】

インドネシアはASEANから唯一のG20参加国だ。
だが、その歴史は複雑だ。

この映画を観て、民主主義の根付かない遅れた国の教育の程度の低い人々が起こした事件と考えるのは大きな間違いだと思う。

独立戦争を経て、オランダから独立、熱狂的な民族主義者のスカルノは、独立戦争を指揮し独立を勝ち取り、共産主義者やその支持者の協力も取り付け初代大統領となったが、対外政策の失敗、マレーシアの独立を巡り国際的に孤立、国連からも脱退するなどし、経済政策が行き詰まると、軍のクーデター(未遂)にあってしまう。
それを鎮圧したのが次の大統領になるスハルトで、こうしたスカルノの事実上の失脚で、スハルトはクーデターを画策したのは共産主義者とのレッテルを貼ることによって、政治的な不安定要素を排除しようとする。

そして、インドネシアの一般市民が、共産主義者やその支持者、そして華僑100万人殺害したとされる事件が起こる。
この「アクト・オブ・キリング」の背景だ。

スハルトは自身の政権の安定化や経済の発展には、日本も含めたアメリカなど自由主義各国の協力は不可欠で、西側諸国が嫌悪する共産主義を徹底的に駆逐することには大きな意味があったのだ。

そして、いまもって尚、この事件を語ることはインドネシアではタブーとされ、国際的な非難もほぼ見られない状況だ。

ただ、映画でも少し出てくるが、共産主義支持者とされる人は、ごく普通の人々で、共産主義を思わせる思想的な背景はなく、単に、鋤(すき)や鍬(くわ)をくれ、農業に勤しむ環境を整えてくれたという、支持する動機は至極単純なものだったのだ。

映画は、監督のオッペンハイマーが人権団体の協力の下、虐殺の生き残りの人々にインタビューをしていたところ、軍の妨害にあい、思案を尽くした結果思いついたのがこの映画だ。

大規模虐殺を行ったことを半ば誇らしげに語る人々が虐殺を演じる。

「殺害行為で血を見ないように針金で簡単に殺したんだ」

オッペンハイマー監督は、こうした殺害行為との微妙な距離の取り方が、大量虐殺を助長するのではないかと言っているが、ナチスドイツが大量虐殺に初めて手を染めたとされるウクライナのバビ・ヤールで行った虐殺行為(映画にもなっています)や、アウシュビッツのガス室などはこれに通じるのではないのかと改めて思う。

カンボジアのポルポトも、アフリカ・ルワンダのフツ族過激派によるツチ族やフツ族穏健派の虐殺も、スーダンの非アラブ系民族に対する虐殺も同様だ。

オッペンハイマーは僕たちの社会は暴力のうえに成り立っているのではないかと言う。

先進民主主義国でも、ネット社会に溢れる暴力的な言葉や、民族主義を掲げ暴力的なアピールを繰り返す輩を見るにつけ、この言葉を否定することは難しいなと感じる。

1000人を殺したと言うアンワルは、終盤に被害者1000人の恐怖を感じ、気持ちに変化が表れたように見える。

アンワルも被害者だと言うつもりは毛頭ないが、本当は社会全体がもっと賢くならないと、こうした悲劇は繰り返されるのではないかと思う。

ロシアがウクライナに侵攻し多くの人々を武器で殺害していることも、中国が新疆ウイグルやチベット、モンゴル自治区で行っている民族浄化と呼ばれる行為も、ボスニア・ヘルツェゴビナで行われたスレブレニツァの虐殺も、実は、暴力行為と適度な距離感を見つけることによって罪悪感を軽減し繰り返されている、或いは、行われたのではないのか。

人間の本当の闇に触れたように感じた映画だった。
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