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足にさわった女のkaomatsuのレビュー・感想・評価

足にさわった女(1960年製作の映画)
3.5
原節子→高潔なる永遠のダイコン様
高峰秀子→お茶目で拗ねたアマノジャク
乙羽信子→地べたを這いつくばるエクボ
淡島千景→チャキチャキ世話焼きアネゴ
岡田茉莉子→究極の美ロボット

私が往年の名女優さんたちに抱いているイメージだ。もちろん、親しみと尊敬の意を込めて。で、本題はこのお方。

京マチ子→妖艶かつ不器用なるヴァンプ

さる5月12日に鬼籍に入られた京マチ子さんを偲んで、増村保造監督による通算3度目のリメイクとなる本作を鑑賞。1926年のオリジナル1作目や、市川崑監督による2作目は観ていないが、たとえその2本のほうが佳作だったとしても、そんなことは大した問題ではない。何故なら今回はあくまでも、敬愛する京マチ子さんの死を悼んでの鑑賞なのだから。

大阪から東京へ向かう東海道本線の特急列車「えこう」にたまたま乗り合わせた、スリ専門の刑事・北(ハナ肇)と、売れっ子小説家・五無(船越英二)、雑誌記者(田宮二郎)、学生(ジェリー藤尾)、老婆(浦辺粂子)…そして彼らの間隙を縫うように、一人の女スリ・塩沢さや(京マチ子)が、弟分(大辻伺郎)を引き連れて、めぼしいターゲットに近づき、車内の停電中にサラリと犯行に及ぶ。さやはクールで洗練されたスリだが、意外と優しい面もあり、自身の特等席の切符を老婆に譲ってあげたりもする。しかし、この親切が仇となる。さやが実家の厚木で父の法事を執り行うために持参していた金が、なんとその老婆にスラれてしまったのだ。さやは、スリの姉貴分である春子(杉村春子)の住むアジトに潜伏するが、そこで偶然にも五無と出会う。スリに遭ったさやを不憫に思い、お金を工面しつつも、彼女を小説の題材に利用しようとする五無や、さやの犯行を押さえようと執拗に追い続ける北との、世にも数奇な追跡劇が始まった…。

スリがスラれるという、本作の本末転倒な物語設定には、普遍的な滑稽味があるが、この物語は同時にかなり深いテーマを孕んでいる。というのも、京マチ子演じるさやは、自殺した父の法事を執り行おうと計画するのだが、父は何でも、あるスパイ容疑にかけられ、親戚一同からつまはじきにされ、自殺を選んだのだという。そして、そんな親戚たちへの復讐を込めて、盛大な法事をしてやろうと実家の厚木へ戻ったところ、そのための資金は老婆にスラれるわ、実家のあった場所は米軍基地に変わってしまうわ、親戚と呼べる人も一人しか残っていないわで、復讐へのモチベーションとわが故郷の喪失という、ほろ苦く悲しい女のドラマとしての側面も持っている。そのためか、100%喜劇として笑えないもどかしさがある。しかしながら、ハナ肇演じる北刑事とさやとの追跡劇は、お互いの手の内を知り尽くした者同士の、単なる刑事と容疑者という関係を超えた信頼関係(?)に支えられていて、まるでルパンと銭形警部の関係のようなおかしさ。また、さやの姉貴分・春子を演じた杉村春子の貫禄の演技と、杉村と京とのやりとりは、名人芸の妙味を醸し出している。

複雑な境遇を抱える女スリ・塩沢さやを演じた京マチ子さんの、艶やかで嬉々としたコメディエンヌぶりを観るにつけ、マチ子さんを偲ぶにはあまりにも楽しすぎて、そんな明るい気分で送るのもありかな、と思う。スクリーンの中を縦横無尽に舞うマチ子さんの、流麗で母性豊かな存在感は、日本映画における永遠の至宝だ。どうか安らかに…。ご冥福をお祈りします。(途中、敬称略)
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