青山祐介

ファウストの青山祐介のレビュー・感想・評価

ファウスト(1994年製作の映画)
4.0
『この文明は危機に瀕している。…ファウスト神話はこの文明の鍵となる神話のひとつである。その解釈は無数にある。「ファウストの教え」は、私がこの映画をそう呼びたいように、そのような解釈的回帰のひとつとなるべきものだろう。』ヤン・シュヴァンクマイエル「ファウストの教え」1990年.
ヤン・シュヴァンクマイエル「ファウスト」1994年 イギリス/フランス/ドイツ/チェコ
原題:「ファウストの教え(Lekce Faust)」音楽:シャルル・グノー/J.S.バッハ

「解釈的回帰」とは、ファウストの原型に立ち帰るということであろう。ファウストは「みずからの基礎となっている神話」であり、原型に回帰することで、いままでにない新しいファウスト像を創造することができるというのである。ヤン・シュヴァンクマイエルは、最古の原本「実伝ヨーハン・ファウスト博士(1587年)」、ゲオルグ・ルドルフ・ヴィットマンによる民衆本「ファウスト実伝(1599年)」、チェコの人形劇「ヨーハン・ファウスト博士の仮面劇」、クリストファー・マーロウの「ファースタス博士の生と死の悲劇的物語」、クリスティアン・グラッペ「ドン・ジュアンとファウスト」、ゲーテ「ファウスト」、シャルル・グノーの歌劇「ファウスト(ジュール・バレ/ミシェル・カレの台本)」など、伝説、劇作、歌劇、人形劇の雰囲気と台詞を自在にちりばめることによって、ファウストの原型をさぐり、新しい方法をもたらす神話への解釈的回帰をはかろうとしている。
ヤン・シュヴァンクマイエルの世界に入る扉を開ける鍵が<人形>である。「人形は、不正操作されている現代の世界のなかの人間の性質をもっともよくあらわしている」からである。それは、シュヴァンクマイエルの子供の頃からの、チェコ伝統の操り人形劇を神話として解釈した世界であり、何者かによって<不正操作>されている不条理の劇場である。
地図に導かれて劇場に迷い込んだ主人公はファウストの扮装をし、台詞を朗読する。そのために、舞台に引っ張り出され、ファウストを演じることになる。それは芸術作品の中では、あなたにも、私にも、誰にでもおこりうることなのである。わたしたちは操り人形のように踊らされ、台詞を強いられ、血の契約さえしすることになる。それでは、わたしたちを操作しているのは何者なのであろうか? 神か? 悪魔か? 人形遣い家? 恐怖に駆られた主人公は衣装と仮面を脱ぎ捨て劇場から逃げ出す。
ヤン・シュヴァンクマイエルは、プラハ芸術アカデミーの人形劇科の出身の前衛映画作家である。共産主義時代を生きたチェコの芸術家は、1989年共産主義の崩壊後、「個人の敗北」を経験し、多かれ少なかれファウストの原型を捜し求めなければならなかった。
シュヴァンクマイエルは1960年、仮面劇場をたちあげ(これが主人公の紛れ込んだ劇場なのであろうか…)、独自の人形劇によるファウストの神話を映画化する。

『シュールレアリズムは、錬金術や精神分析と同じように、魂の深みへの旅』なのである。
「暗い錬金術 ― ヤン・シュヴァンクマイエルの映画」1995年
青山祐介

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