YAJ

ファースト・マンのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

ファースト・マン(2018年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

【はるかな旅へ】

 心配していた141分が、あっという間でした。緊張感の持続が絶妙で、D・チャゼル、やるなぁと感心したのが最初の感想でした。

 観終わった瞬間は、やはりどこかで『ライトスタッフ』(1983)のような男くさい感動の物語、心を昂揚させる壮大な音楽を期待していたので、「あら、もう終わり?!」と拍子抜けも正直あったのだけど、描きたいものが別だなと思うと、これはこれでありとじんわり来ます。
 これまで描かれていない人間ニール・アームストロング像。夫であり父である家庭人の彼が存分に描かれていた。それを、御贔屓のライアン・ゴズリング君が演じていれば、評価も甘くはなりますが、いやいや、良かったです。

 1969年7月。もはや50年も昔の話。あれほどの壮大な偉業から半世紀。我々は、その到達点の更に延長に、より高みにいるのでしょうか?
 あの時、人類が目指した未来に、我々は立っているのか、そしてこれからどこへ向かっていかなければならないのか。いろんなことを考えてしまうエンディングでした。

 Where’ll we go from now? 
 自分は生きている間に、その答を見つけることができるだろうか・・・。



(ネタバレ、含む)



 ダメって人もいるだろなぁ、この作品。D.チャゼルの三作品目と思って、『セッション』の狂気、『ラ・ラ・ランド』の夢、さぁ、次はどんな世界に我々を誘(いざな)ってくれるか?!と観に行ったら、宇宙の遥かかなたへ飛び立つ人類の勇躍よりもむしろ、その偉業のための犠牲やら、現実問題、さらには家庭問題など、じつに地味なエピソードがふんだんに描かれていて驚くかもしれない。宇宙空間への浮遊感よりむしろ、地に足のついたという比喩が比喩ではなく、常にグラビティ(重力)を意識させるかのような展開だった。

 そこで、「早く『ライトスタッフ』してくれよ!」と思うか、頭を切り替えて、監督が描きたいのは人間ニール・アームストロングだと思えるかで、評価が分かれるかな。
 私は、D.チャゼルも、ライアン・ゴズリング君も好きなので、わりとすんなり気持ちの軌道修正できました。

 劇中描かれていたのは、月や宇宙への憧れではなかった。それより、ソ連に追いつけ追い越せの覇権争いだったり、やれ技術革新の競争心や、引くに引けないプロジェクトだと世論との駆け引きばかり。誰も星空を見上げて瞳を輝かせたりはしていなかった。
 また、敢えて、そう撮ったのだろうと思う月の姿。目的地である「月」なのに、劇中で目にしたのは、日中の青空に浮かんだぼんやりした小さな月が1度と、あとは宇宙船の窓から、離陸上昇中に小さく見える姿のみ。月面着陸が目的、”静かの海”が夢の到達点だと、まったくもって描いていなかったのが実にイミシン。

 では、どこへ彼らは、そして我々人類は、向かおうとしていたのだろうか。

 帰還後の検疫期間中の施設でのガラス越しの奥さんとの対面するラストシーン。こんな壮大なミッションをこなしたけど、この後、どうなるの? どこへ向かえばよいのかと互いに自問自答、あるいは相手に求めるかのように、ただただ黙って視線を交わす二人。観る側もじっと息を止めて見入ってしまうようなシーンだった。

 大きな一歩(giant step)を踏み出した人類だけど、その後の半世紀を思うと、この成果をどう活かしたのだろう、どこへ向かって走って来たのだろうと、自分の半世紀の人生も重ね合わせてラストシーンを凝視してしまった。

 ライアン君の寂しげな瞳はWhere’ll we go from now? と問いかけているように妻ジャネット(クリア・フォイ)を見つめる。 Tell me. 声にならない声が聞こえるようだ。
 妻も、ガラス越しに夫の差し出した手に自分の手を合わせ、同じく Where’ll we go from now?と訊いているかのよう。 Please, tell meと。
 月面に記した小さな1歩の先、あの時思い描いた未来に、我々人類は立っているのだろうか。 
 誰か、Oh, Just tell me!

”Where'll we go from now" by Godiego
https://www.uta-net.com/song/3714/
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