Aimi

13th 憲法修正第13条のAimiのレビュー・感想・評価

13th 憲法修正第13条(2016年製作の映画)
-
スコアをつけようがない。
星1とか星5とかで評価するものですか?これ。


観ていて、数年前にディナーの席で起きた友達同士の喧嘩を思い出してしまった。
黒人の友人は日本でもほぼほぼ毎日偏見の目と戦っていて疲弊していた。歩いてるだけで警察に呼び止められる。電車で座ると周りの人が立って去っていく等々。そしてそんな経験をする度にFBにそれを投稿することで記録し、また私たちと会う時はその辛さを吐露していた。
そんな彼に、チャイニーズアメリカンの友人がこう言った。
「私もアジア系だからアメリカにいた頃は差別を受けてきた。だからあなたの気持ちはわかる。でもそれじゃだめだ。辛さは無視して明るくいかなきゃ」
そうして彼はブチ切れた。
「気持ちがわかる?わかるわけない。経験してないからわかるわけがない。この辛さを無視できるわけがない。無視しちゃいけない」
私はこの言い争いをただ眺めるしかできなかった。
日本に生まれ育った純日本人の私はマジョリティ側にしか身を置いたことがない。差別をされることの辛さを経験したことがない。かける言葉が見つからなかった。
ただ、彼のこの言葉は深く心に突き刺さって、映画ブラックパンサーの登場で歓喜する黒人コミュニティの喜びの深さ、この本当の意味やすごさ、その誇りを私や他の人種は知り得ることはできないのだろうと思い知らされたことまで思い出した。

人種差別、とりわけ黒人が受けてきた差別を描いた映画作品は今までも多数製作されている。奴隷制度、二級市民扱い、今でも根強く残る偏見や差別意識…そういった歴史や問題もそのおかげで知り、知識として知っている。
だが、これらの歴史…奴隷制度が手を変え品を変え、姿形を変えて現代まで根強く息づいていることは知らなかった。手を変え品を変え、姿形を変えても根本や核にあるのは奴隷制度が存在していた頃から存在している、あれから何一つ変わっていない有色人種、とりわけ黒人コミュニティへの徹底された差別意識であり、それを経済に利用し、政治に利用し、その意識を社会に浸透させ、正当化し、警察の暴力、市民の偏見の目を許してしまっていた…あまりの問題の根の深さに開いた口が塞がらなかった。

ずっと、ずっと、こんなに根深いものと対峙し、それが根をはる国と社会の中で生きていくために「警察に射殺されないためには」「無事に家に帰るためには」を親が毎日子供に言い聞かせ、何をも無視することなく声を上げつづけてきた彼らの辛さというか、抱えるものを、彼らでない私たちはきっと永遠に「わかる」「理解できる」とは言えないだろう。
けれど、「他人事」と無視することはしたくない。
あの時の私のように、それが目の前で起こっている時に、そしてその後もただ眺めてやり過ごすことしかできないような人にはなりたくない。


“正義の実現をためらうことは正義の否定と同様”

“Silence is violence”
Aimi

Aimi