ゆっけじゃん

否定と肯定のゆっけじゃんのレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
1.2
~2024-04-28再視聴のため編集したけど本旨は変わらなかった~

ホロコースト否定論者のアーヴィングに対して危機感を募らせたリップシュタットは、自著で「最も危険な否定論者、証拠は捏造、数値は歪曲」と警鐘を鳴らすも、アーヴィングからは名誉棄損で訴えられてしまう。
裁判では被告側が立証責任を負わなければならないと知ったリップシュタットは、弁護団を組織しアーヴィングの捏造や歪曲の証拠を集め、ついには勝利するのだったーー

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人を殺してはいけません、核武装は議論もいけません、ホロコーストは存在を疑ってはいけません。
ダメなものはダメという絶対的タブー視は、およそ知的とは対極に位置する態度である。
だが、ときに道徳的な社会はそれを要請する。
戦争や虐殺など道徳的に重大な事柄であるほどに、我々が知的であることをより強く阻害する。
自分で考えることが大事と言いながら、いざ考えようとすると「それはダメ」とストップをかけるのが我々の生きる社会なのだ。

本作も、ホロコーストを否定するという非道徳的と思える主張がとても目を引く。
対するホロコースト否定の否定、つまり道徳的で「疑ってはいけない主張」も存在感が強く、そう主張する人物をすらも疑ってはならないような気がしてくる。

それではいけない。
大きな主張に隠れたこの話の本筋。
本作で見るべき事実はこれである。

「アーヴィングの捏造や歪曲について
 証拠を得たのは【 起 訴 後 】である」

なんと彼女が捏造だ歪曲だと散々書いた本を出版したとき、その証拠は何一つなかったのだ。
つまりは何のことはない、証拠もなしに名指しの悪口を出版して、訴えられたから弁護団を組織して総動員でなんとか証拠を探し出して事なきを得た、というだけの話だ。

お前は証拠を歪曲している!と、何の証拠もなく糾弾する人間は正義なのだろうか?
残念ながら私には同じ穴の狢にしか見えない。

このような人が勝訴して正義は我にあるかのような顔で終わるのだから、こちらとしても良い気分とは言えない。
本作の鑑賞後に感じた何とも言えない収まりの悪さ、その根源は人類の愚かさとか歴史の闇とかそういうのじゃなく、正義はなくても勝訴は出来るという身も蓋もない話だったからなのかも知れない。