矢吹

下衆の愛の矢吹のレビュー・感想・評価

下衆の愛(2015年製作の映画)
3.8
省略って好きなんすけど、
見たいシーンは見たいよね。
生まれたてみたいな文章になったけど、
私の好きな省略は、例えば、ダウンバイローの脱獄シーン。晩春の結婚式のシーン。
あえてやらないオフビートとか、まさかのやらないストロングスタイルとか。
今作で見たかったのは、宗教団体の長がめっちゃキレるところ。ハメ撮りを撮る前の、打ち合わせから交渉の段階。この男の、果てまでの行末。
一方、頗る見れて良かったものは、女にビンタを受けて、一回何もせず帰るけど、納得いかずに、やり返しに戻ってくる男のところ。とても好き。
或るキャラクターの、感情と性格を丸裸にするシーンってやつ。自己紹介。
あと、渋川さんは、人の一万円札パクるのが、似合いすぎ。
プライドって、食えんのかそれ。って、
かなりプライド高いセリフなんだけど、この暴れ馬から落馬してない渋川さんが、これまたすごいっす。

監督っていう職業のパワー、小さなコミュニティの権力者。
その下にいるしたたかな計算高い人たちばかり。意味のないSEXはしないとかさ。
この世では、自分のことを賢いと思っちゃってる人が1番厄介ですからね。
俺は1番近くで俺を見てきたからよく知ってる。
そして、結果的にこういう集団は、やはり、何にもなってねえ。
何にもならない、夢ビジネスだわ。
夢にときめけ、明日にきらめけだよ。
卒業するまでそれでいいよ。
神も終に、呆れ果てた人類たち。
今となっては古の時代の戯れ、映画が持つ最悪の前科であるはずなんだけど。
流石にこのメンツの中では、忍足さんがまともに回るって、そういうことだから。

映画というやばい女にハマった男の愛。
女優として、女としての愛。
折角だし、やってやってやりまくって、しばかれて、終われ。
映画なんて、終わったもん勝ちなんだから。

私女優になる。私は女優よ。お前は女優だろうが。っていう、
内からも外からも、便利な言葉、女優。そりゃそうなのよ、何かを誤魔化すときに使うんだから。
女優だよバカやろーぐらいの、覚悟が乗ればなんのその。言葉としては、芸人と変わらんかったりするよ。使う側の問題なのだ。
言い訳に使うな、覚悟に使え。
簡単に使うのは、自分に嘘つく時だけにしな。

色んな最悪を乗り越えて、やっとこさ、
「綺麗だなあ。光」による、なにかが変わりそうな瞬間。自分からそこに持っていくことだってできる客観。
これを主観に落とし込むには、まずは走り出すところからなんだよね。どうしたって、体作ると言うか、気合いを作るところというか、過去の自分から走って逃げる、距離を取るところからなんだろうけど。嫌だねえ。
これを嫌がってるうちは、結局、まんまと現実に映画を持ち込んで、いい音楽でもかかりそうな、ターニングポイントみたいな部分だけを愛してしまう。そうして、いつまでたっても、何も変わらない人間が作り上げられるわけだよ。
俺は1番近くで俺を見てきたからよく知ってる。人生は2時間で終わらないのにね。いい加減気づけよ。

エンディングが、「これさえあれば」だと言うことに、めっちゃ笑っちゃった。
ギターのイントロで、まさかとは思ったけど、まさかすぎ。
かつて「メタモルフォーゼの縁側」で作り上げていただいた、自分の中の、美しき「これさえあれば」像が、鮮やかにかなり生々しいものに完全に上書きされちゃったけどな。これはこれで最高でした。
また、自分の情けなさを楽しむ歌を見つけてしまった。いつまでやんねん。ありがとう。
矢吹

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