矢吹

タブロイド紙が映したドリアン・グレイの矢吹のレビュー・感想・評価

4.0
この世の芸術性はここで終わり、スターは常に大衆のものへ。
価値が単なる金になっては、結局、少数が独占するだけ。
2024年の時点で言うと、芸術性は随分前から、何千回も死んでいた。
おそらく、これからも。
知ってか知らずか、タブロイド紙に写された。
さて世の中に、おもしろ爆売れ情報を提供するために、地球のメディアが全面協力をして、いっちょスキャンダルを自作自演と行こうか、と言うやつで、
その玉座に据えられた、当のドリアングレイがちゃんとある程度自覚的であるが故に、圧倒的にやりたい放題のメディアの姿。
殺すは殺す。暴走。12匹の雄鶏。
スバルはすべる。
そして、化かしあい。

この時すでに、老いさらばえた、
独立性、超党派、客観性。
引退間近。
同情はもちろんするし、その衰退の責任は、当時の人間、過去のマスメディア、そして、今の俺にもあるわけだが、
とりあえず、股間は隠せ、独立性。
いくら何でも自由すぎるか。

舞台『都会の夜』の上演。
夜の観光に相応しい、真実を導く飲み物。
ってなーんだ。
答えは、お酒。らしい。
なぜならば、お酒だからでしょう。
ウルリケオッティンガーが言ってんだから間違いない。
まじでお酒好きだな、この人。
ゴーレム、ズージー、パサート。
世界を統べる編集長マブゼのアシスタントの3人がめちゃくちゃ可愛いっす。
上司がいない時には、ちょっとサボる感じも人間臭いし、愛くるしい。
この架空の世界観とリアルな人間性の揺蕩い、絶妙な緩さのバランス感覚にうっとりしちゃう。

テレビがたくさん集まった画面の中の、現地カメラに報道される各都市の姿、世界中がかなりテキトーでまじでサイコーだった。
この世の全てに、ヘンテコな魔法をかける。
世界中の編集長を集めた会議とかも、特にね。
オッティンガーの目で見た人間の生活を、端的に言うならやっぱり、全員べろべろで働いて回ってる世界みたいなイメージの皮肉。

冒頭の、謎の巨大な地下施設へと導かれるカメラからして、なにやら壮大な真面目なおふざけが始まる予感もギチギチに詰まってる上に、そもそも、オープニングも、ゲームというか、ファミコンというか、なんたるレトロな電子音と、ザ・パソコン感。同じくエンドロールにも、鳴り響くピコピコは、未だに頭から離れない。

ちなみに、当たり前に近いからもう言っちゃうけど、ハリウッドはやっぱり、スパイだったんです。
これだって、ハリウッドなんだから。

スーパーモデルのヴェルーシュカ・フォン・レンドルフさんの肉体美も相まって相まって。
この人の身体を拝み続けられるだけでも、有り難すぎるんだけど。
机の上から画角の内にしゃがみ込むシーン、大好き。
あと、パーティーの顔アップ。ヤバい。

アメリカ式かコンチネンタル式か、みたいなお食事の設定も、どうしようもなく愛おしい。

ちなみに、オペラのシーンが、流石に多いと言うか、ちょっとばかし長い。
オペラだから当然か。
短いオペラはありまへん。
歌劇と歌の違いなので。
それが文章と文字の関係だとすると、布と糸であり、
海鮮丼と寿司だ。あとお風呂とお湯。
終わったもん勝ち。

俺にも芸術性を殺させろ。
矢吹

矢吹