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帰ってきたヒトラーの寿司と忍者のレビュー・感想・評価

帰ってきたヒトラー(2015年製作の映画)
2.5
読むに耐えない長文になったので、先に所感をまとめておく。
どうやらこの映画は、我々皆が危機的意識を持たねば、第二・第三のヒトラー(悪しき独裁者の意)は現れうると警鐘を鳴らしたいらしい。それに対しての私の所感は、『それ程までに人類が落ちぶれているとは思えない。作り手達が嘆く程、人類は愚かだろうか。』

昔に一度字幕版を観たことがあったが、吹替版の声優(飛田展男氏)に釣られ、再度視聴。
…の筈が、最後まで視聴しても記憶と合致しない。何一つ覚えがない。どうやら私は、モンティ・パイソンと混同していたらしい。ヒルターの偽名を使うのはあれくらいだそうだ…インテルネッツ曰く。

内容について。ヒトラーは魅力的な人物だ。作中でも実際に多くの人が彼に好印象を抱いていた。…本当に?
ひとつ先に断っておくが、私はドイツを知らない。今も昔も知らないが、あんなに…印象ざっと9割(…一歩譲って、8割5分)もの人々が彼を受け入れるだろうか?あのように手放しで面白がる程、大衆は恐れ知らずなのか?ドイツでヒトラーをエンタメとして消費する者が8割を超えるには、まだ200…150年は足りないと思う。それとも私が理想主義者で、民衆に希望を抱きすぎなのだろうか?この映画が描く程に、民衆は堕落しているのか?
認知症の婆さんが拒絶するまでサヴァツキ、ひいてはこの物語の方向性は、彼に対する否定的な意見に目を留めなかったのか。歴史を本の知識でしか知らぬ者には、そこに生きた人間が存在したことを想像しづらいのかもしれない。

色々否定的な意見を述べたが、これがこの映画の描き方で、メッセージの為に民衆を愚かしく映しただけだろうとは思う。メッセージの為に、デフォルメをしたのだろう。作品は視聴者に分かるようにあるべき、というのが私の意見だ。一度の視聴で8割分かる人が視聴者全体の8割を超えなければならないというのが、私の持論である。あの映画では民衆は言わば舞台装置にすぎず、"煽動される愚民"というストーリー的役割を遂行しただけにすぎない。
勿論この作品に対してのみではないが、デフォルメと自分の感情の折り合いが付けられないことが屡々ある。これもそれに、引っかかった。ドキュメンタリー風に撮る場面が印象的だったから、それも相乗してのことである。

そして殆ど関係のない話を。ヒトラーが肖像画…というか、路上似顔絵師をして小銭を稼ぐシーン。少し気になる。おたく的な言葉を使うと、解釈違い。実際ヒトラーは同じように、絵を描いて路上で売り生活費を稼いでたい時期があった。しかしそれは風景画が主で人物画にはあまり興味を示さなかった筈だ。まあ、私は彼の外見が少しタイプってだけで何も詳しい訳ではないので、彼の故郷の者がそう描いたのなら、そちらの方が近いのかもしれないし、それを証明できる者は限られている。ので、あまり気にしないようにした。

ちなみにぶっちゃけると、付けた星の殆どはヒトラーのルックスに対してだ。私はミーハーのチャンピオンだから。
吹替音声も満足だが、やはり洋画は原語に限る。あの顔から出てほしい言語はやはりドイツ語なのだ。だからまた今度、字幕版でも観たい。
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