レオピン

提報者 ES細胞捏造事件のレオピンのレビュー・感想・評価

提報者 ES細胞捏造事件(2014年製作の映画)
4.0
良心なんて私たちにはぜいたくよ

提報者=内部告発者=ホイッスルブローアー
さまざまな場面で声を上げにくい社会になりつつあるこの国においてもその重要性は高い。

主人公は韓国の報道番組「PD手帳」がモデルらしき「PD追跡」の記者。この事件は2005年。およそ10年後に日本でもSTAP騒動が起こった。あれからもう10年か。。

「真実か国益か」 映画のコピーにもなっていたが元々この問題設定はおかしい。人権か国益かと昨年国会で頓珍漢を晒した鈴木宗男という議員がいたが、対立していないものをそう思わせるのは詭弁だ。瞬時に見抜けないといけないなと、一応思った。

映画で怖かったのが、草の根や市民 そういった人たちが博士を擁護する側に立つ。愛国者への暴力だと叫んでろうそくデモに走る。いわゆるマスゴミ批判から権力側になびく姿。決して大衆は<真実>の味方ではないというところ。ここリアルだった。


パク・ヘイルはやっぱりホラー顔だなぁ 目を剥いて興奮するのがいい
パク・ウォンサン なんだかんだでいい上司 最後は自らカメラの前に立った

特別出演でNBS社長にチャン・グァン(『トガニ』の院長🙅) 国情院の男との面談シーンでは二人ともにこやかに笑っているがバチバチに火花が飛んでいた

イム・スルレは韓国の女性監督。照明や音楽も共にレベルが高かった。『トガニ』や『カエル少年失踪殺人事件』など実話を元にした作品が次々に生まれるのもこうした底力によるもの


告発から見える社会のあり方を考える。社会を書き言葉と話し言葉で分ける分析がある。日本は圧倒的に話し言葉が優先される社会。書き言葉、つまり公正だとか普遍への指向は低くいくら理を唱えても面倒がられ退けられる。ルールを自ら設定してそれを守ることが苦手。

先の大戦の後で指導者層が続々と、誰かが言い出すのを待っていたとか 負けると分かっていたが反対できなかったとか空気の支配に負け続けていたことを露呈したがそれも話し言葉に流されやすいことが一因だろう。

昨年来のジャニーズ、宝塚、吉本の問題にだってそれは通じる。彼らの振舞いから浮び上がるのは結局、精神論 マナー ポエム そういった感情操作に逃げ込むしかない所。会見で涙を見せる前に、大切なのはまずは必要に応じて再検証や説明を行うこと。その組織や人間の過去の功績や影響力など関係がない。

巷にあふれる告発者に対する態度からも見えることはある。例の訳知り顔で分断を加速するだだとか、言い方を考えよう等といったトーンポリシング系に冷笑系。これじゃ声を上げること自体に大きな壁があると感じてしまう。

再度、「真実か国益か」
〇〇益に何をあてはめてもいいが、若いうちはあまり迷うことはない。20歳ぐらいの頃は秒で答えることができた、たぶん。今気がついたが、これはナンとか益の為にかき消されている声が必ずあるってことだ。
 
<提報者>がもたらすものは決して分断された見通しのきかない社会ではない。その逆で、既に風通しが悪く暗く淀んでいる場所を少しでもよい所にするためにその告発はある。
まずはその声を聴く。その上で真実はどこにあるのか。偽の分断線をはっきりと見破る。知識社会における報道の価値はきっとそこにこそある。
レオピン

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