Keigo

アンナと過ごした4日間のKeigoのレビュー・感想・評価

アンナと過ごした4日間(2008年製作の映画)
4.2
イエジー・スコリモフスキ監督作品はこれが初対峙。キェシロフスキの『愛に関する短いフィルム』のコメント欄にて、カランさんから『早春』と併せて教えていただいた本作。『早春』から先に観たかったけど、レンタルDVDに無かったので先にこちらを。

冒頭、背中を丸めた男が歩いている。その様から身体はデカいがどこかおどおどとした印象を受ける。彼は物陰に隠れて女性を見ている。そしてシーンが切り替わり、彼は店で斧を買う。彩度の低いうら寂しい映像の質感。ものの開始数分で、何やら物騒なお話しになりそうだと身構える。ここまでで早速がっちり掴まれている。

キェシロフスキの『愛に関する短いフィルム』も、ヒッチコックの『裏窓』も覗きに関する映画だ。サム・メンデスの『アメリカン・ビューティー』でも覗きの描写があった。自分がこれまでに観た作品の中だけでもこの他にもあったはずだし、まだ観ぬ作品の中にもおそらくあるだろう。

これだけ覗き、窃視という行為が題材として扱われることが多いのは、やはりその行為が孕む構造がきわめて映画的だということなんだろう。

ある人物の人生や日常の瞬間を映画を通して、カメラを通して、決して向こう側からは見られることのない安全圏から覗き見る。しかし映画の中の人物と鑑賞者である自分の窃視の状況が重なることで、無意識に見る/見られるの関係が一方向ではなく双方向になりうる緊張感へと引きずり込まれてしまうからなのか。

イエジー・スコリモフスキ監督、“匙加減”が絶妙な監督だという印象を受けた。序盤のミスリードによってまず主人公である彼への嫌悪感を抱かせた上で、そこから徐々に明かされる過去や、育ての親である祖母との死別、彼の犯罪行為をどこか滑稽に描くことで、同情を誘う。こちらの倫理観の境界の曖昧な部分を、巧みに刺激してくる。加担も断罪もせず、肯定も否定もせず、あくまでこちら側に問いかけてくる。

許される愛と、許されざる愛の境界はどこにあるのかについて。そして、愛の方向性について。


GEOレンタル 6/18
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