EmiDebu

ラ・ラ・ランドのEmiDebuのレビュー・感想・評価

ラ・ラ・ランド(2016年製作の映画)
4.0
ロマンティックなラブストーリーでありながら映画の中心地ということを逆手に取った皮肉で大袈裟なCheezy映画。

LA LA LANDという名前には2つの意味が込められているとアカデミー賞候補に上がっているときに特集されていた。
特に深い意味のない音の繋がりと音階でのLAを用いたという意味でのキャッチーなLA LA LANDというタイトルと、フランス語の女性名詞に用いる冠詞に使われるLAにLos AngelsのLAを組み合わせたもの。後者の意味ではThe LA Landという固有名詞のような形になる。

英語にはCheezyという表現がある。基本あんまり英語を直訳して日本語に置き換えないので、自分の感覚と合っているかは分からないが、ありきたりで安っぽくて大袈裟な様を表す形容詞だと思う。
その自分の感覚が正しければ、これほどまでにCheezyな映画はなく、それこそがThe LA landというこの映画のタイトルにピッタリな気がする。

エンタメ産業の中心地、LAではこのような夢見るカップルを描く作品も少なくない。というかかなり多い。
公開された年から思えば、あまりにも擦られて陳腐なストーリーと言ってもおかしくないだろう。
物語はハイウェイの渋滞で踊り出す群衆から始まる。ピアノを弾けば周りの明かりは消え、主人公2人にスポットライトがあたり、プラネタリウムを見れば空を舞う。
しかし、この大味でバカバカしいほど過度な表現が映画的であり、すなわちLAという映画産業の中心地に求められているともいえよう。
これこそがThe LA Land なのだ。
そこで思い返して欲しいのはライアン・ゴズリング演じるセバスチャンはやりたい音楽と求められる音楽の間で葛藤しているという設定だ。
LAで成功するには大衆に迎合することが必要であり己の趣向などは二の次であるということだ。この映画も、本質の他に大衆映画に求められる要素をわざと大袈裟に描いている。

すなわち、自分にとってこの映画はアメリカ大衆映画そのものを皮肉りながらも、同時に実際LAで日夜繰り返される男女のすれ違いを描いてるように思えた。
ラストのその名の通り「劇的」な展開はifを思わせるものだが、結局本来お互いが求めていた通りにならなかった結末をなんだかんだで受け入れる様子が窺える。

ゴテゴテの陳腐なストーリーを映画的な表現で描き切る、なんともLAらしい。


ちなみに見るきっかけでもあったんだけど先週4日間くらいLAを訪ねていた。
秋田から来た友達がLakersの試合を観たいからアメリカに来るというのでオーランドから5時間近くかけて飛んで行った。
映画にも登場する、サンタモニカやグリフィス天文台も訪れ、すごい良かったのはとりあえず置いといて、もちろん初めての訪問ではないが驚くのは商業ベースで作られた街ということだ。
アメリカにいてもLAという街の異色さみたいなものを感じて、ダウンタウンには人はさほど多くないのに超高層ビルが列挙している。
サンタモニカの家賃平均はワンルームで月$4000。日本円だと50万を超えるくらいだろうか。
生活感がまるでないのに渋滞ばかりの都市。
ここではテスラを目にすることも多い。
これがLA。どこまでいっても大袈裟でダサくてCheezyなのだ。

話はズレるけど映画産業のオフィスも近年はジョージアに次々と引っ越していると聞く。
家賃があまりにも高いかららしい。
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