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変形された時間での儀礼のTnTのレビュー・感想・評価

変形された時間での儀礼(1946年製作の映画)
3.7
 マヤ・デレン、大いに映画技術で遊ぶ。
やっとここまで分析できたつもりだが、最初に見た時は全く何もわからなった。しかし、何もわからないあの純粋な体験はとても貴重だったように思える。

 マヤ・デレン自身が糸を解く女として今作品に登場している。他のレビューにもあるように糸を解く=時間を操る、または時間からの解放を意味しているように思える。そして糸から解放された彼女は恍惚とし、そして倒れる。

 スローモーション、静止画。今作品の時間は実に映画的な技法故に歪められている。また誤った動作繋ぎによる大胆なシーンやカットのつなぎ、またネガフィルムの使用など様々な技法を取り入れている。しかしこれら様々な技法を取り入れながらも、作品としてばらつきがないのは、やはり一種のシュルレアリスム的な体験として落とし込めているからだろう。技法を使うこと事態が批評されるゴダールあたりとは別なのだ。例えばワンカットの中で逃げる女性と追っかける男性を撮るシーンで、フィルムの回転速度を変えることで後者の男性をゆっくり動かして銅像のように仕立て上げている。男が静止するのは画面が固まってしまった技法上の理由ではなく、銅像であるからである。男がゆっくりと宙を飛びながら追いかけるのはスローモーションなのではなく、銅像の質量ある動きであるからだ。

 社交場でのすれ違いに感じる孤独感、庭で男の銅像に追われる男性への恐怖、そして海へと逃げる逃避願望。では最後のネガフィルムは死なのだろうか。そもそも主人公の女性とマヤ・デレンはベルイマンの「ペルソナ」的な人格乖離の現れなのか。花の意味、身体の跳躍、色々謎が多いのがこの映画作家の魅力だなと改めて実感。
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