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絵の中の少女のotomisanのレビュー・感想・評価

絵の中の少女(1958年製作の映画)
4.3
 大林こと"志田"の、瞑想より深みに紛れ去るあと、"私"は"恭子"を離れ、その故地を訪ねる。俗人を避け分け入る林間に見出すその女に"恭子"と語りかけ"恭子"の写し絵を試みん。
 "志田"と"私"との間に立ち入る"恭子"。その後ろ姿を眺めやる"志田"と"恭子"の二重写しの奇妙に惑う"私"に語りかける"恭子"の、"志田"という名の印象が"志田"の死をして深まる。
 "恭子"に分からぬ言葉を残して去った"志田"に寄り添った"恭子"よ。
 矢吹の林間の"恭子"ならざる"恭子"に愛を告げれば、その偽りを正し逃げ去る"恭子"。もはや"恭子"ではない"恭子"に残す駅の伝言の愛しているもまたやがて人の手で拭い去られるもの。いま"私"の手には"恭子"のその時を刻む画帳の絵一枚。それを開くとき"私"はまたあの時の"恭子"を...
 やがて熱く眼を襲うものに瞼を閉じれば、赤黒に滲んで。その絵の"恭子"のみ消え失せて樹叢ばかりが残るを知り、"恭子"の望んだのは"志田"が伝えたろうか美しい水面であったものか。"私"には何ができただろう。

 体一つが物足りず、"志田"と"私"で手分けして"恭子"の愛を解明する掌編。日々を楽しむ"私"と世にあらぬ事を掌中に迎えようとする"志田"。現世の姿を画に留めようとする"私"が生き残り"恭子"と"志田"とを失い。こうして私、大林は映画を手にする。
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