レインウォッチャー

ミス・バイオレンスのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ミス・バイオレンス(2013年製作の映画)
3.0
11歳になった娘の誕生日を祝う、一見幸せそうな家族。ところがそれも束の間、当の少女が吸い寄せられるようにベランダから飛び降りる。
残された家族は突然の不幸に打ちのめされるが、次第にその内に抱えた歪な闇が紐解かれていく。

「こうではあって欲しくないな…」ってことが、全てみるみる起こる映画。

間もなく顕になるこの家族の異常性は、支配的・強権的な父性へと集約される。含まれる要素としては、同郷ギリシャのヨルゴス・ランティモス『籠の中の乙女』にごく近い。
というか、ヨルゴスを中心とした《ギリシャの奇妙なる波》なるムーブメントがあって、今作もまたその一派に属すると見なされているようだ。映像や表情の無機質的な冷たさ、乾いた感じもよく似ている。(※1)

家族というコミュニティや、暮らす家・部屋の閉鎖性は普遍的なものではあるけれど、この共通点は何かのギリシャ「らしさ」なのだろうか。

しかしよく考えてみれば、古来からオリンポス山におわします神々の社会って、強大な《父》ゼウス様を中心にして、ほら…ねえ?じゃあないですか。
そして勿論、そのシステムは現実でも数多の歴史上の国家でモデルケースとなった。劇中の家族に対しては多くが嫌悪感を抱くかもしれないけれど、その姿は神の姿、わたしたちの足元のを構成する礎の姿なのだ。

今作が生まれた当時は、ちょうど経済危機が深刻化していたとき。劇中の端々に、不安が見え隠れする。観光業に依存していたギリシャの脆弱性が、要因のひとつでもあった。
今作やヨルゴスがもつ特異な視点・解像度は、ギリシャという歴史深く、かつその歴史を引きずり翻弄されているともいえる国ならではのものなのかもしれない。旧来の《父》を打開し、外へ踏み出そうという動きが、この救いに乏しい映画を内部で推進する原動力に繋がっている、そんな風に考えてみる。

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※1:逆に違うところは、ユーモアの有無だろうか。ヨルゴス作品ってなんだかんだ不謹慎でギリギリの笑いを攻めてたりすると思うのだけれど、今作はよりハードコアな印象。