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沈黙ーサイレンスーのKのネタバレレビュー・内容・結末

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

遠藤周作の沈黙が原作
生前から遠藤は自身の生家の信仰、まるで仮着であるカトリックの教えを日本人の自分の体型に合わせて仕立て直す必要があったというようなことを遺している。

芥川龍之介の「神神の微笑」でも述べられるこの国で異教はどのようなものであれ形を変えられてしまう、本当の意味で残ることは無い。というようなことを思う。
(菅見ながらおそらくユーラシア大陸を北上する際キリスト教は多くの土着信仰を取り込んでいるので、日本だけが…ということでも無いだろうが)

戒律を破れば最後の審判で裁かれその後は地獄の業火に永劫焼かれるのでは無い、
遠藤の神は、あくまでも同伴者であり、転びをも包括するものとして描かれる。

イタリア出身のスコセッシ監督はカトリックの司祭を目指していたほど敬虔なキリスト教徒としての一面があるが、遠藤が生涯に亘り書くことで何度も問いかけたこの主題を彼がどう捉えたのかと考えると興味深い。

その意味ではキチジローの"穢らわしさ"はもっと明確でもよかった気がする。
原作にある嫌悪感が薄まっている気がしたがその辺りにスコセッシが在る気がした。

遠藤は長崎での取材で見た擦り減った木彫りのキリストとも思えぬ風体の踏み絵に足の跡が残っており、この油足の持ち主にキチジローを重ねた旨書いていたと記憶する。

遠藤の沈黙がひとつの問いだとすれば、
イタリア人の敬虔なクリスチャン、スコセッシからのひとつの答えがここサイレンスに在るのかも知れない。
もちろんそれは全きものでは無いにせよ、
そういう問答としての面白さがあると感じた。
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