昼行灯

実録・阿部定の昼行灯のレビュー・感想・評価

実録・阿部定(1975年製作の映画)
3.8
よかった。局部どうするのかなと思ったら上手く見せずに処理してた。ロマンポルノのなかでもずっとセックスしてる方、2人のセックスに合わせてカメラがずっと動き回るから、カメラと合わせて3Pしてるみたい。局部隠しは着物の布面積に助けられてるのあると思う🥹

宿の一室という空間設計がもういい。狭い室内の四隅をぐるぐる周りながらするセックスは、2人の領域をお互いが象っているかのようだった。物語が進む事に増える酒瓶の数、食べ残し、新聞、2人の関係が深化するのに比例して部屋も満たされていく。この関係の果ては、定吉2人きりという言葉に象徴されていた。部屋の外からは部屋をフルショットで撮ることが多くて、それも四畳半?の空間を独立させていた。

あと、通りに面してる部屋というのもすごく意味あることで、外からの光という要素が加えられて、外部と内部のふたつの世界が形成されてた。定が雨戸を閉めることで、定が閉鎖的な世界の主権を握ってるのがよく分かる。吉はそろそろ帰ろうかなと思ったところで、やはり定が部屋から出させない。

部屋の外にあるものが軍靴の群れというのは愛のコリーダに共通している。愛のコリーダでは1回だけだったが、実録阿部定では2回登場しているから、明らかにこの演出は重要。軍隊と吉がすれ違う愛のコリーダとは違って、実録阿部定の軍隊は定が2人きりの領域の内部から覗くものとして、そして雨戸を閉めることで拒むものとしてもある。外部から差す光は部屋の内部を赤(左傾化?)に染めている。これは定がいずれ訪れる吉の徴兵を拒み、吉を規範的でない世界へと留めようとしていることを意味しているように思える。愛のコリーダでは、吉の非規範的世界への参入は吉の主観として経験されていたから、この定はよりファム・ファタール的だなあと思う。軍隊眺める時も俯瞰の主観ショットで、どこか軍事国家をメタ的に見てるような。その後の226事件も、映像にうつるのではなくラジオを通して間接的に表象されてるんだよね。定が雨戸を閉めてから、もう現実は定吉とはパラレル関係になってしまった印象がある。その平行線を引く=雨戸を引くのは定その人であると。そういえば、愛のコリーダでは首絞めセックスに重きが置かれてたけど、こっちでは包丁を引いて血を出すことに重きが置かれてたような。境界を刻む、文字を刻むということ。

こんなストーリーなのにカップル同士のイチャイチャが無邪気に描かれてるのもすごいなあと思う。宮下順子のよく笑うこと。その辺のカップルと一緒じゃん。2人の座敷に呼ばれた芸者が2人の気を引こうと半ば怒りながらも頑張って歌ってるのには笑った。2人は向かい合って芸者を無視するかのようにご飯を食べさせあっていた。2人が向かい合って食べ合う構図結構あったけどなんだろう?

こういう普通のカップル感が終盤の宮下順子のみんなそうでしょう?的つぶやきに繋がっていくのかな。でもこのストーリーを普遍化したいなら、ラストの「えぇ、、えぇ、、わたしが阿部定です(暗黒微笑)」は毒婦すぎて矛盾があると思うなあ。
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