せいいち

ホドロフスキーのDUNEのせいいちのネタバレレビュー・内容・結末

ホドロフスキーのDUNE(2013年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

映画って娯楽でいいの?大衆向けでいいの?と問いかける映画。
芸術としての映画を追求する名匠ホドロフスキーがとてもピュアで愛おしかった。

芸術家には2つのタイプがあると思っていて、孤独に己を追求するタイプと己を発散して人を巻き込むタイプで、ホドロフスキーは間違いなく後者だった。芸術家としてのステレオタイプは前者だが、後者の方がケミストリーが起きやすく、観ているこっちも楽しい。そして多くの人の協力が必要な映画を芸術とするには後者の方がふさわしい。僕はホドロフスキーのような”語る”芸術家の方が好きだなぁと観ていて気づいた。

僕はホドロフスキーのことは知らなかったし、彼の映画も観たことなかったけど、彼の語る言葉はとても魅力的で、彼の映画を一度観たいと思ったし、幻のDUNEも見たかったなぁと思った。

映画の中でホドロフスキーも言っていたが、別にDUNEでなければいけない訳ではなくて“なんかスゲー今までにない映画を作りたい”からスゲーSFのDUNEを選んだってことで、このドキュメンタリー映画も彼が作りたかったDUNEも、DUNEを楽しむためのものではなく、ホドロフスキーを楽しむための映画だったのだと観てから理解した。
その証拠に彼が語る、彼の予定していたDUNEは(いい意味で)すごいめちゃくちゃで、まさに「ホドロフスキーのDUNE」だった。
それでも、「あ、映画って大衆向けのものだけではなく、芸術としても存在するんだな。芸術として映画を作りたい人はこういう風に考えるのだな」と知れて良かった。

映画を見終わった後、ドゥニDUNEに対するホドロフスキーのコメントの記事を読んだら、案の定「良い出来だけど、商業的だよね。商業的な映画は人類や社会に影響を与えない」ってコメントしてて、くぅ〜ホドロフスキーさんブレないねぇってなった笑

でも逆にドゥニは自分のDUNEを、原作に忠実だったと言ってもらえたらそれが一番の褒め言葉だ、とコメントしているので、まあそれぞれ主義主張があってよろしいのではないかと思いました。
せいいち

せいいち