りふぃ

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのりふぃのレビュー・感想・評価

5.0
観たのは2週間ほど前だが、どうレビューを書けばよいか考えあぐねた結果、かなり時間が経ってしまった。

5を付けたものの、既存の価値観ではこの映画に評価を付けることはできないのではないか?という疑問があることをまずは断っておきたい。

あらすじは他の皆様が素晴らしいものを書かれているため、私は「定点カメラで観測される、あるシングルマザーの3日間」とだけ書いておく。


この映画の真髄は何か。
何がそんなに観客に訴えかけてくるのか。

それは秩序の保持とその崩壊が200分で描かれている点だろう。


1日目は休む間も無駄な動きもなく、クルクルとよく動くジャンヌ。
この時点で、時計の秒針のように正確なリズムが我々に植え付けられる。

2日目からややおかしな点が出てくる。
1日目に我々に刻まれたリズムが狂わされるとでも言えばよいのだろうか。
ジャンヌがボーッとする時間が増えて、ミスが目立ち始める。
食事後のジャンヌの、込み上げてくる悲しみを抑えるような表情が印象的。

3日目、明確に崩壊を迎える。
破滅、と言った方が適切か。
リズムが一切ない。
ハサミを手にした時、イヤな予感はした。
そのままその予感は的中する。


真面目すぎるほどに1日目のリズムが淡々と刻まれるせいで、「枠」が出来上がっており、観客は自然とその枠からはみ出さない「ジャンヌ」を期待する。

これって……世間に対する女性への視線と同じではないか。

女性は枠に収まっておいてくれと願う男性社会。
枠内で全てを処理しなければならない女性はやがて規則正しいリズムを刻めなくなり、爆発する。
しかし、世間から見ればなぜ爆発したのか分からない。
なぜなら、全てが枠内で起きており、観測不可だからだ。

ジャンヌには助けを求められる人が周囲にいなかった。
頼りの息子も暖簾のような存在。
会話すら上手く成り立たない。
しかし、実は息子との会話が長続きする時ーーといっても、それは息子の独白のようなものだがーーがある。
それは息子が愛もないのに「寝れない」と言い放った時だ。
ジャンヌの表情は陰になってよく見えない。

……息子は世間の男性像の象徴なのだろうか。
自分は愛されて当然で、「寝る」か「寝ないか」の選択をできるのも当然で、誰の犠牲の上に生活できているのか考えも及ばない無神経な男。
ここまで言うと酷かもしれないが、そう捉えられなくもない。


ジャンヌの崩壊は果たして彼女だけの問題だったのだろうか。
観察を続けながらも結局何もできない傍観者の観客だった我々にも責任の一端があったのではないか。
そんなことを思わされる社会派の映画。

あなたがなんだか息苦しいと感じるのは、それは世間から押し付けられた枠で生かされているからかもしれない。
りふぃ

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