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黄色い家の記憶のニューランドのレビュー・感想・評価

黄色い家の記憶(1989年製作の映画)
4.2
✔️『黄色い家の記憶』(4.2p)及び『神の結婚』(3.9p)▶️▶️

2000年前後にモンテイロに夢中になった時代があった。(ド·)オリヴェイラより凄い、ポルトガル映画史上の最大の監督と思った(多分10本も観てないが、全て傑作乃至はそれに準じるもので、『J.W~』『行ったり~』『~ダイビング』辺りは映画史上の大傑作と呼べる)。身体はよくないと聞いてたがそれでも急死のショックの中、遺作を観たのを最後に20年くらい観てないと思ったが、今日の2本、冒頭タイトルに「2010年葡映画祭」とあった。ということは、この作家ご無沙汰は、13年程度か。
今回は観れなかった最高作の1本『~ダイビング』らはちと違うが、ピタッと停まった退きを中心としたカットの荘厳すぎる異常な神々しさは、映画史上例を見ないレベルともいうべきで、その和む引寄せ兼ねた威圧は正に神がかってる。絵画や過去の映画の歴史や権威に立脚した訳でも、カメラやフィルムやライティングを用いてるも、それに特質を依存したわけでもない、オリジナルでいて、こちらの畏敬をごく自然に促す何か。おそらく、最高作の『J.W~』を観れば誰でも、息をのむと同時にに吸い込まれる筈だ。自作自演の都合のいい、出鱈目で映画では普通触れない変態性癖らの内容のあり得ない柔らか要素と、バランスと内的反撥磁力をとって初めて成り立つ映画形か。それは編中に現されるシュトロハイム像に近いのかもわからない(確かに、変態人間を自作自演するが、凝り固まったものでなく、開かれた普遍性に繋がる。その上で圧倒的な画面の造型力を持ってきて、闘わせるか、凝縮し固めてく)。
『黄色い~』。陽光の強烈なイエローの都度射し込みの鋭さの場面毎特有のあり方、ベース事物ののブラウン·ブルー·グリーン·グレーのより深い定着に、レッドやブラックの小物·衣装等も絡まる受け止める地上世界と建築物、そこから陰影の巾の力·構築され懸かりもする建築や自然の明度コントラストの、都度究極達し。さらにアップも含め切返しが、主に90゜変の張り出し方で造られ、縦の移動·横の移動やパンが、極めて端正·畏れを持って正確に適宜加わり不遜を清める。その妙な力を内から少しずつ狂わし、建物内から外に駆け出す90゜変で奥へ走るのを廻るめから縦図で捉えるとか、精神病院の中庭を横へ走り出す·手足ブレや光感変化のポーズの才気·結局360゜形パンともなる·絶え間なく弾み躍動伝わる画面、らから段々に変化が鋭く入り込んでくる。このカッティング·カメラワークのグレイドアップがみるみる増えてくる。また画面中の額がないとそうは分からぬ大鏡中で進む展開の図も奇妙も味ある。集会やアパートらから顔出し女らペチャクチャや、ぬいぐるみ裂いての札出し、らのカット積みの味わいも。
『~結婚』は、カッティングも構図も、癖や照明に流れず、より平明に開かれて、真の自然な神秘に辿り着こうとしている、よりプレーンな作で、カメラの動きやアクセントは減り、それ以上に人間たちの綜合したうごめき·行動(ステージの乳房出し女らが前進してくるのや·大Lの群れを更に·ゆっくり退く等)が映画のインパクトをどっしりめに持ってくる。全体にのろく、90゜変やどんでんがより正確に。
内容的にも隠微な性癖·閉ざされた人間関係·悪運と幸運、らが組合わさる『黄色い~』の変態性·妙な拘りとしつこさに対し、『~結婚』は神の多元的捕捉え·政治や俗権力からの絡み、というかなり腰を落ちつけたなだらか拡がりがある。
『黄色い~』。精神病院の呼び方等についての子供らの語りの後、リスボンの旧いが由緒ある貴婦人経営のアパートに、睾丸らの痒みの不潔を1人だけ訴えてる、老いてボロボロを変に楽しんでる、厄介者だが何故か蔑みまではされない、初老の痩せた男の日常の変態的話となる。着替え覗きや、共同浴室の若い女使用直後に入っての使用石鹸溶かし愛飲や陰毛採集、飲み屋の常連やアパート住民との良からぬ会話、病院通い、家主の娘のその楽隊名手の婦警や·(隠してる)水商売の女へ同じアパートと知らず·接近、後者の流産死から遺品から大量札発見し、その金で後者の演奏者独り立ちを手伝うと接近す。働く老母からもせびり、亡くなっても周囲が悔やみだけで·金目に興味だけ。軍服着ての将校振る舞いで逮捕、精神病院へ。名を当てた1人に、次々出自勝手推測述べ上げる内に、逆に相手がリードして、脱走へ。とにかく、相手に立て板に水的、語りと引き込みの絶え間ない弾力の魔力を持ったキャラで、変態志向も閉じ籠るよりその語りの延長の止められないノリ·本質の感で、映画を見る者まで呑み込む。
『~結婚』。 「神の使い」が、札一杯の鞄をこの世に於ける神的な存在指名の証として、与えてくれたいい加減さから、雑物をチギリ捨てるしか能のない小世界の「ゼウス」名の男が、男爵を名乗られ·金も目減りしない好き勝手許され崇められる環境下得て、あくまで女本位に、溺れたを助けた女、彼女が入った善行院·修道院の優秀尼僧、海外からの王女らに、グレードアップした対象に触れ、自由にその世界に振り回されながら、近ずいてく。しかし、その世界の時代色がホンワカ風から、左翼潰し·女性蔑視の政治圧力·逆コース復権に巻き込まれてく。札も現実に奪われ、(また)精神病院に入らされると冒頭神の使いと再会(今日の2作に同一的キャラに、あのポルトガル名優配し)。否定されるも、脱獄し、最初の溺れ女に真価を見出だしてく。波他の自然音多く、主人公は揺らぐが「自然、愛」を唱えてる変わらぬベースがあり、神の概念(修道女と深く通じる可能性残してもいいのに·崇高さには決して近付かない)や、左翼(疑われ)とは交わらず近づかずだが、振り回され、混同もされる。死期も近付き、より拡がりあり、この世の細々名残はうっちゃって、一見名作狙い風にもなってる。
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