Eyesworth

ペトラ・フォン・カントの苦い涙のEyesworthのレビュー・感想・評価

4.8
【女王蜂と働き蜂、共依存の部屋】

ドイツの異能ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督脚本の1972年の作品。

〈あらすじ〉
ドイツのブレーメン。輝かしいキャリアを築きながらも、二度の結婚に失敗したファッションデザイナーのペトラ・フォン・カントは、アシスタントのマレーネをしもべのように扱いながら、アトリエ兼用のアパルトマンで暮らしていた。そこへ、友人のシドニーが若い女性カーリンを連れてやってくる。たちまちカーリンの美貌に心奪われたペトラは、彼女をファッションモデルに誘う。そしてその孤独な人生を知ると、同棲を始めるが…。

〈所感〉
描かれる舞台は主人公ペトラ・フォン・カントの部屋のみで、巧みな作劇と計算され尽くしたカメラワークによって見ている我々も彼女達の密室の共依存に連れ込まれる。こんな最悪な性悪女離婚して当然!下僕のようなマレーネが可哀想!と彼女を批判したくなるが、最後まで見てると彼女もよくいる愛の孤独に耐えている一人であり、同情したくなるのがこの作品の不思議である。様々な角度からアップとダウンで被写体である彼女がここまでまざまざと映し出されると、勝ち気で高慢な彼女にも寂しげな表情が時折見えることがある。その他人には殆ど見せない隙間風を埋めることにマレーネは誇りと生きがいを持って主に精力的に尽くしているように感じた。現代には無い盲目的奉仕の美しさがそこにある。まるで女王蜂と働き蜂だ。我々の視点からは、二人の対称的な態度には温度差があるように映るが、最初から二人の間には垣根など無かったのかもしれない。表面上は出さないが女王蜂も密かにあなたが必要です、というメッセージを送っているのだ。作中で一切言葉を発さずに黙々と己に仕えるマレーネに嫌気がさして、外界の若く美しいカーリンという他の女性に心身を許すが、やはり戻るべき巣に落ち着くのであった。男との愛の欠落を補って余りある暮らしがそこにあるように感じた。もはやペトラに男なんて要らないのでは。まだ殆ど鑑賞できていないが、ファスビンダー監督は人間の美しい部分と気持ち悪い部分の美醜の共存を描くのが本当に上手く、作品には絵画的にずっと見ていられるような画面の耽美性があるように思う。ファスビンダーもっと深堀りしてみたい対象ができた。
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