ワンコ

不思議惑星キン・ザ・ザのワンコのレビュー・感想・評価

不思議惑星キン・ザ・ザ(1986年製作の映画)
4.1
【ソ連という惑星、キン・ザ ・ザ 】

この作品が作られたのはソ連経済が行き詰まって、末期を迎えようとしていた頃で、この直後くらいに、チェルノブイリ原発事故があった。

当時、ソ連邦のひとつであったグルジア人の視点から皮肉たっぷりに描かれた作品だと思う。

例えば、宇宙技術開発など科学技術が進んでも、人々の生活はちっとも良くならない。
科学技術の発展が社会の利便性や人々の生活向上に繋がっていなかったのだ。

何故か。

政治と社会の分断が進んでいたのだ。

マシコフとゲデバンを助けるチャトル人のウエフもパッツ人のビーも本質的には善人だ。
だが階級に依存した考えが主で、賄賂やウソは当たり前で、マッチを欲しがる様は執着心の塊のようでもある。

資本主義を揶揄する表現が冒頭に出てくるが、パッツ人とチャトル人は階級対立の象徴だ。

階級は、実は、これだけではない。
人々のなかに、大きな支配・被支配の構図を作れば、支配層の中の低階級の人間は、更に下層階級を見下ろすことによって満足を得ると云う巧妙な支配体制も見て取れる。

ソ連でのロシア人優位と、グルジア人やウクライナ人などが見下されていた状況も伺えるような気がする。

浅田真央さんがオリンピックのフリー演技で使用した曲の作曲家ラフマニノフや、チャイコフスキーなどクラッシックの代表的な音楽家を生んだにもかかわらず、それは支配層のたしなみで、一般層はバイオリン曲などに全く興味など示さない。

そして、支配階級の上にある人間は、今が良ければ社会を改善をする必要性など感じることなどは決してないのだ。

水は枯渇し、人々の暮らしは疲弊する一方だ。

しかし、改めて考えてみて、これを当時のソ連映画だと笑ってやり過ごすことが出来るだろうか。
今の僕達の社会にも当てはまるようにも思える。

世界の分断は進み、資源は取り尽くされ、環境は破壊される一方だ。

この作品を通して、僕達は、自覚もなしに自分達自身を笑ってしまっているのかもしれない。
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