北欧のグロテスクな耽美性と言えば聞こえはいいが、この映像で語ろうとしている一種オカルティズムのきな臭さは歴史的には面白いんだけど映画として褒められない。
画の強度は現代を凌ぐほどのものが確実に幾つかあったのだけど、それが取り柄と言っても過言ではない映画なので「幾つか」では不足しているという認識。
何故悪魔がそこにいるのかという画面の釈明を避けるのは明瞭とは言えず、説明的なショットと饒舌なそれとは全く違うのだが、限りなく前者寄りのクリステンセンは後者に当てはまるシェストレム/ドライヤーのような映画を撮ることは不可能ということを自ら暴露している。
これを無理にやろうとしてしまうとテクストとのアンバランスが余計に浮き彫りになり、魔女や悪魔というものは決定的な暴力性から距離を置きつつイメージの周回だけで勝負する主題ではないと(それに最適解を叩き出したのがドライヤー『吸血鬼』なのだが)証明した、という点でなら本作の価値は大きい。
構造も変どころか不気味ですらあるのだか…解説ナレーションと映像の不一致著しいほど映画的に面白くなっていくという事実は無視し難い。