レオピン

ルシアンの青春のレオピンのレビュー・感想・評価

ルシアンの青春(1973年製作の映画)
4.4
LACOMBE LUCIEN
このありふれた名前の青年。歴史の渦にたまたま飲み込まれただけの。。

「几帳面でいい人たちよ」とドイツ人を誉める対独協力者(コラボ)のリーダーの女。日々送られる無数の密告の手紙を開封している。彼は特高警察だったのよと自慢気。この欺瞞。自己正当化。幾重にも腐臭が漂うこの女性に目をかけられたことからルシアンはゲシュタポの手先となっていく。
 
図々しく礼儀知らずで最低限のマナーも知らない田舎の青年が権威につき従って、占領されたフランスという名の少女の家にズカズカと入り込んでいく。

レジスタンスを断られたからゲシュタポへ。彼にとってこれはなんでもなかった。これは最初にどこのサークルが声をかけてきたかによって大学生の4年間は決まるといういわゆる鍋パーティー問題だ。どこの党派か、どこの宗教組織かなどは偶然に過ぎない。

どこか投げやりで退廃した大人たちと過ごしているうちに、しだいに残忍な態度を平気でとるようになっていく。

ユダヤ人医師の家にウソをついて踏み込んで息子の帆船模型を目の前で破壊して見せる。また捕われた男の口をテープでふさぎ口紅でいたずらをしてみせる。この嗜虐心。バカはすぐ増長する。

だがかつてのように小動物に向けられていた嗜虐性とはうって変わり明らかに進化している。第一に人間に向いている。やっちゃいけないとされていたことへのためらいが、枷がなんとなく外されていく時代。これは権力欲とか性格とかでもなくまさに空気だ。

ファシズム醸成の背景だとか、スタンフォード実験とか知らなくてもこれは直感的に分かる。朱に交われば赤くなる。そういうものだ、人間は。
こうして虐殺差別扇動はいたってふつうの人々が担うことになる。ユダヤ人を強制収容所へ連行したのも、紅衛兵も クメールルージュも ルワンダもみんな名もなき常識ある人々がやったことだ。

時代の転換期にルサンチマンを抱えた人間は怖ろしい。一発逆転を狙ってくる。精紳の田舎者にだけはなりたくない。Manners make the man

フランスと祖母を連れて逃避行をともにする。田舎の廃屋で野性児のような生活に戻り、初めて快活な笑顔をみせた。フランスも時を忘れて楽しそうに笑っている。でも時折、得体の知れない不穏な感情がよぎる。ふと石を持ってルシアンの頭上にたたずむ。 

邦題にある青春とか若さ、未熟。あまり関係がないように思う。
人はいくつになってもふとした感情にとらわれるし、殺したいと思うことも憎いという気持ちが顔をもたげることもある。

ルサンチマンの語源は同じ感情をくりかえすこと。同じところをグルグルグルグル・・・・・・

お祖母さんが葉っぱの鈴虫を子供のような目で見つめていた。きっとルサンチマンから防ぐものは好奇心。そして礼節。オルン氏が教えてくれる。私たちは弱いのだ。だから毅然といられるようにマナーを尊ぶ。彼が仕立て屋であり狭いながらも品の良い住処に暮らしていたのもきっとそういうことだ。

雲が広がる空の下で草の上に寝転がる若者。恋した女の子と目一杯に時間を過ごした一日。その横顔に数週間後の運命が刻まれる。簡潔な判決文のようなテロップで幕。
ルシアンを演じたピエール・ブレーズは映画の2年後に事故で死去した。役柄どおりの一生。げに映画は怖ろしや。

我々はみなルシアンになりうる。オルン氏が言うように彼のことをとても憎み切れない。

脚本:パトリック・モディアノ
音楽:ジャンゴ・ラインハルト
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