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エドワード・ヤンの恋愛時代のemilyのレビュー・感想・評価

4.8
 90年代の台北。チチは親友モーリーの経営する会社で働いている。恋人のミンとは喧嘩が絶えない。モーリーの彼氏で財閥の御曹司アキンはモーリーの会社に資金提供しており、浮気を常に疑っている。義兄で小説家の男や、複雑な人間関係が絡み合い、狭い世界で男女の群集劇が繰り広げられていく。

 物語としては男女が狭い世界で、会話劇、口論を繰り広げ、嘘や騙し合い、恋愛沙汰、親族の関係、仕事、などいろんな要素が交わることで、人々がいろんな表情を見せ、心情を変化させていくという、起承転結というよりは、状況の重なり合いである。暗転を非常に効果的に使っている。会話の区切りに暗転してまとめ言葉のような疑問文だったり、要約された一文を提示し、ごちゃごちゃした会話劇に良い区切りを与える。口論の際に暗転したままでセリフだけを流すシーンを時に織り交ぜることで、見えない物に不穏感を感じさせる。

 距離の取り方も非常に面白い。狭い世界で繰り広げられる会話劇を、スタイリッシュな空間ばかりを使い、台北の古き良き部分は全く映らない。室内の描写が多く、会話をしながらも二人が座っていることはほぼない。どちらかは必ず動いており、二人の配置も見切れていたり、どっちも画面にいなかったり、世界の狭さだけでなく、二人のいる空間も距離感をしっかりわからせる配置により、その閉鎖感をしっかりと感じさせる。大体動いてるのはやましい事があるほうであり、その滑稽さは自然と観客のそれとも重なり合う。印象的なのはチチとモーリーが会社の廊下で口論になるシーン。廊下の壁と壁の間に二人が配置され、横からカメラはしっかり壁の間の二人をアップを横からとらえ、二人の間に人が通り過ぎている。閉鎖的で窮屈、さらには人の流れもとらえることで、廊下の長さまで感じさせてしまう。

 人間の表と裏、本音と建て前、その一部始終を観客は見せられその証人となる。彼らの会話劇が物語が進めば進むほど滑稽さをあらわにしながら、複雑に絡み合う。傍から見たらもっとシンプルにできるはずだと思うのだが、それは外から見てるからそう感じるだけであり、自分の人間関係を見直してみると、あまり大差ないように思える。膨大な会話劇が展開され、複雑に絡みながらも、ラストに向けてまとまりを帯びていく。映してほしい物を映さず、必要ないと感じるものをしっかり固定カメラで捉える。意味がないようで意味があり、その部分にこそ大事な物があるのかもしれない。

 作家とチチのシーンの光と影、そうしてガラスに映る洗濯物の効果が絶大である。小さな室内灯があぶりだす影、不釣り合いな音の効果が生み出すリアル空間の中の詩的で幻想的な空気づくり。洗濯物はそのまま違うシーンでも非常に興味深い効果をもたらす。

 大げさなまでにみんなよくしゃべり、みんなよく動く。空間を最大限に生かしながら、90年代らしさが漂う背景の中で、誰もが自己を主張し、自己を守る。やましいから言い訳する。自分を守るために誰かを陥れる。人は誰も一人で生きられないのに。そのほんのちょっとの譲り合いがあれば人付き合いはうまくいくのだろう。
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