シゲーニョ

プリンス/パープル・レインのシゲーニョのレビュー・感想・評価

4.4
「Ladies and Gentlemen.
 Please Welcome, The Revolution !!」

開巻いきなり、ライブ会場となるファースト・アヴェニューのDJが、ステージで演奏するバンド名を紹介するこの一言が、この映画の全てを物語っている。

なぜなら、本作「パープル・レイン (84年)」は、プリンスとそのバックバンド、ザ・レヴォリューションの“プロモーション映画”だからだ。

1980年代初頭、「フラッシュダンス(83年)」や「フットルース(84年)」といった映画が、サントラ盤から次々とシングル曲をカット&リリース、そしてMTVで映画のシーンを流用したミュージック・クリップを流すことで、映画とサントラ盤両方の分野で巨大な成功を収めていた。
それに倣って、プリンスは自らの主演映画とサントラを同時に製作して“プロモーション”を行い、マイケル・ジャクソンを追い抜き、ポップ界のスーパースターの座へと駆け上がろうとしたのだ。

ただし、本作のプロジェクトが立ち上がったのは、公開の2年前、1982年頃に遡る。

仕掛け人は、70年代からアース・ウインド&ファイヤーやウェザーリポート、レイ・パーカー・Jrなど多くの優れたアーティストを育て上げた実績のある音楽マネージメント界の重鎮、ロバート・キャバロとジョセフ・ラファエロ、スティーブ・ファグリーノのトリオ。

彼らは1980年からプリンスのマネージメントを引き受け、そのバックアップもあってプリンス自身も、「Controversy(戦慄の貴公子/81年)」、続く「1999(82年)」の2枚のアルバムが、共にプラチナ・ディスク(売上100万枚以上)を獲得する大ヒットを飛ばしていたが、それはあくまでも“ブラック・コンテンポラリー”という限られたジャンル内での成功であり、彼らは「よりプリンスの知名度を上げる」、「世界的に大ブレイクさせる」ための手練手管を模索していた。

下世話に書けば「白人に認知させる!」「白人ファンを増やす!」ということなのだが、そんな中、彼らに訪れたのが先述したMTV風ムービー隆盛期の到来、「フラッシュダンス」の大ヒット。

ストーリーも、「フラッシュダンス」を模したか如く、音楽によって“再生”する人間を描いている。

「周囲に心を開かない天才ミュージシャンが、恋人やバンド仲間、ライバルとの交流を通して成長を遂げる」という展開は、正直ありがちなものではあるが、後にこのプロットがエミナム主演作「8mile(02年)」に流用されたことでも分かる通り、誰にでも受け入れやすく、印象に残る、とても“キャッチー”なものだ。

このプロットは、「ローハイド(62年)」や「ガンスモーク(67年〜71年)」といったTV西部劇で腕を鳴らしたベテランライターのウィリアム・ブリン(撮影当時47歳)が創作したもので、最初のタイトルは「Dreams」。
恐らく、直近の仕事が、アイリーン・キャラ主演でスマッシュ・ヒットしたミュージカル映画「フェーム(80年)」のTVドラマ版「フェーム/青春の旅たち(82年)」だったことから、オファーが舞い込んだのだろう。

プリンスの下積み時代にスポットを当て、半自伝的な展開にしたのもブリンのアイデア。

ジャズ・ピアニストの父(本名ジョン・ネルソン)の影響で、ミュージシャンへの道を志したこと。
両親の不仲(=結果的に離婚)、その辛さ・淋しさを紛らわすために音楽に傾倒していったこと。
友人の家の地下室に閉じこもり、たった独りで毎日毎晩、曲作りに励んだこと。
人一倍自尊心の高い性格ゆえに、他人に自分のレコードのプロデュースを決して許さなかったこと。

こういったプリンスが10代の多感期に経験した事象に、映画的デフォルメを織り交ぜて書かれたシナリオなのだが、当のプリンス本人が難色を示した。
それは虚実取り混ぜたストーリーが気に入らなかった訳ではなく、現在の自分、そして彼の周りにいる人々(ザ・レヴォリューションのメンバーなど)の“リアリスティックな描写”が足りないと思ったかららしい。

(まぁ、本作はNEWアルバムのプロモーションも兼ねているので、プリンスの意見は至極真っ当だと思うし、齢五十近くのブリンには、20代の奇抜なロックバントの生態など、なかなか想像がつかなかったのだろう…)

当時、プリンスはお気に入りの紫のノート、その数冊に渡って、ビッシリと映画のアイデアを書き散らかしていたそうだ。

そこで、ウィリアム・ブリンの初稿は書き直されることになるのだが、その大役を任されたのが、本作が監督デビューとなるアルバート・マグノーリ(当時30歳)。

世間的にはマグノーリに白羽の矢が立った理由は、南カリフォルニア大学映画学科在学中に撮った16ミリの音楽映画「JAZZ(79年)」が、全米で15個もの様々な賞を獲得し、その実績を高く評価されてのこととなっているが、実のところ、最初に監督をオファーされたのは、ダリル・ハンナ出演作「俺たちの明日(84年)」を撮ったばかりの、ジェームズ・フォーリー。
しかしロケ地となる11月のミネアポリスが、「日中でも零下になる極寒の地」という噂を聞いて怖気づき、「俺たちの明日」の編集マンだったマグノーリを代わりの生贄とばかりに、推薦したのである(笑)。

プリンスにダメ出しを食らったブリンの初稿を受け取ったマグノーリは、早速ミネアポリスに飛び、プリンスやメンバーたちと約1カ月間、生活を共にし、決定稿を書き上げる。

マグノーリがシナリオを執筆する上で重要視したのは、プリンスのアイデアを尊重しつつ、メンバーの視点もストーリーに反映すること。

だからプリンスは勿論のこと、メンバーたちも“生き生きとした演技”を、映画の中で見せている。
まぁ、本人を演じているようなものなので、演技に無理がないのは当然のことだが、たぶん、劇中で描かれているプリンス演じる主人公キッドとの関係・やりとりが、実際のプリンスとの関係と、さほど変わらなかったからだろう。

キッドが毎回リハを遅刻してくるところとか、ウェンディに「自分が理解するものしか信じない性格なのね!」とチクリとイヤミを言われるところとか…(笑)

中でも、リサとウェンディが作った「Purple Rain」の基となるデモテープを、全く聞こうとしないキッドとの楽屋での会話が印象深い。

ウェンディ「あんたを踏み台に
      するとでも思っているの?
      私たちが裏切ると思う?
      いつもあんたのことを
      真っ先に考えているのよ」
キッド「君たちの曲を
    使うつもりはない。
    もし使ったら、
    挙げ句の果てには、俺の
    バイクまで持ってかれる(笑)」
ウェンディ「人を傷つけて、
      よく平気でいられるわね。
      自分がイヤにならない?」

この劇中での、キッドの態度が実に陰湿な感じで、彼女たちの方を一切見向きもせず、サルのパペットを使って腹話術みたいに小バカにするように話すのだが、ウェンディたちのリアクションはアドリブで、本心から出たものらしい…。

ただし、この劇中でのエピソードは事実に反している。
「Purple Rain」の基となるデモテープを最初に作ったのは、プリンス本人だからだ。

前作のアルバム「1999」を全米で430万枚売り上げたプリンスは、R&Bのスターから、ポップ&ロック界のスーパースターへと昇り詰めるためには、誰の心にでも響くような、クラシカルな“バラード調”の曲が必要だと考え、創作に乗り出す。(注:一説によると、ボブ・シーガーの「We’ve Got Tonight(78年)」にプリンスは影響を受けたらしい)

先ず、プリンスはバラードのコード進行を録音したテープを、リサやウェンディたちに聞かせ、そこからジャムセッションが始まり、各メンバーが肉付けし、曲が形作られていくことになる。

ちなみに曲の冒頭、ギターのイントロは、ツアー移動中、ルート7号線を走る車の中で、ウェンデイがフッと突然閃いて弾き始め、それを聴いた車中のプリンスが速攻で気に入り、OKを出したらしい。

バンドが段々と一つになっていく、メンバー個々の思いが集約されていく…それを形容した曲が「Purple Rain」なのだ。

ただし、歌詞が出来て、曲名が決まるのは、マグノーリが台本執筆のためバンドに帯同していた頃で、リハーサル中に演奏されたこの曲を聴くや否や、感動したマグノーリは、映画のタイトルに使用することを決めた…。

さて、このように本作「パープル・レイン」の楽曲は、脚本に基づいて書かれた訳ではなく、プリンスがマグノーリとのミーティング中、既に仕上がった曲、100曲を聞かせ、そこから劇中で使用される曲を二人で選んでいくことになる。
これは勝手な推測だが、聴いたのはメロディー・オンリーか仮の歌詞で、最終的な歌詞の中身はマグノーリの書く脚本に合わせていったのだろう。

そして、それが本作最大の見どころ、聞きどころだと思う。
劇中、ザ・レヴォリューションのライブシーンは計4回あるが、そこで歌われる曲の歌詞・曲調は言うに及ばず、演じるプリンスのパフォーマンスが、物語の展開に沿って移り変わっていく、その時々の主人公キッドの“心中”を見事に表現しているからだ。

劇中内、プリンスの台詞は極めて少ない。
ガールフレンドのアポロニア(アポロニア・コテロ)とのやり取りが主で、他にはバンドのメンバー、クラブの女性従業員ジル(ジル・ジョーンズ)、そして父親フランシス(クラレンス・ウィリアムズ三世)と二言三言交わすぐらいだろう。
気に食わない相手、例えばクラブのオーナー(=演じたのは、実際はプリンスのプロモーターを務めるビリー・スパークス)や、ライバル・バンド、ザ・タイムのモーリス・ディには話しかけられても、ちょっと相槌を打つか、ガン無視を決め込んでいる。

これは主人公が、利己主義で内向的な性格の“孤高のミュージシャン”というキャラ設定だからだが、それにしても、ここまで極端にライブの歌唱シーンだけで、主人公の情感を外在化する、心の内を観客に伝える作品は、ミュージカル映画を含めて、これまでに自分はほとんど経験したことがなかった。

先ず、オープニングを飾る「Let’s Go Crazy」。
「エレベータに身を任せて下っていくんじゃない!/クレイジーになって/上階行きのボタンを叩くんだ!」

「Dearly beloved!(親愛なるみんな!)」というプリンスの語りから始まるこの歌は、「一度きりの人生、楽しまなきゃダメだぜ!」というファンへのメッセージが込められた一曲なのだが、自らの出自や育った環境を呪いながらも、「どっこい、オレは這い上がって成功するぞ!」という、主人公キッドの野心、心の声のようにも聴こえてくる。

次に、2度目のライブシーンで演奏される「The Beautiful Ones」。
「彼が欲しいの?/それともオレが欲しいのかい?/オレを欲しいって言ってくれ!/知りたいんだよ/教えてくれ、ベイビー」

アポロニアとモーリスがクラブで仲良くしているところを目撃して、動揺するキッドが歌うラブソングで、特に後半パートの「膝をついてお願いしてるんだ/ベイビー、本当に君が欲しんだ」のプリンスの絞り出すような声・パフォーマンスは荒れた心情、アポロニアがモーリスと自分のどちらを選ぶのか、その嫉妬心を見事に表現している。

そして本作のタイトルになった「Purple Rain」。
劇中で演奏前、キッドは父親フランシスに捧げる曲として紹介しているが、これは製作元のワーナー・ブラザースの重役のアイデアに従っただけの台詞で、実のところ、父親とアポロニア、そしてバンドのメンバーに捧げたバラードである。

1番の歌詞「あなたを悲しませるつもりはなかった/あなたが笑うのを一度だけでも見たかったんだ」は、人生の師であり、尊敬するミュージシャンでもあった、父親フランシスの本意を理解しきれなかった自責の念。

2番の「週末だけの恋人なんて絶対なりたくなかった/ただの友だちでいられればそれでよかった」は、恋人アポロニアに自分の気持ちを素直に伝えられなかったことへの後悔。

3番の歌詞「わかっているんだ、時代が変りつつあるってことくらい/僕ら、何か新しいものに手を伸ばすときなんだよ/それを君たちみんなに言いたいんだ/君たちの手を僕に引かせてくれ」は、バンドのリーダーとして、自分たちが次のフェイズに向け、進んでいくことで生じる苦悩・葛藤、その本音を顕していると思う。

まぁ、どれほどプリンスが、脚本を書き直したマグノーリに信頼を置いていたのか分からないが、たとえ共同作業だったとしても、他人の書いたストーリーに合わせて、曲の歌詞を考えたり、リライトしたりすることは、自意識の高いプリンスのようなクリエイターにとって、相当のストレスがかかったことは容易に想像できるし、やり遂げた結果だけを鑑みれば、本作をNEWアルバムのプロモーションとしての成功、そして、ポップ&ロック界のトップスターへと昇り詰めるための手立てとして、プリンスが如何に重要視していたかが分かる。

特にプリンスやメンバーの意識の高さが汲み取れるのは、その演奏シーンだ。

ライブシーンはカメラ4台で、全曲アングルを変えて2テイクずつ撮影。基本、劇中のライブ音源は事前に収録され、撮影時は口パクの予定だったが、プリンスとザ・レボリューションのメンバーは、その音源に寸分の狂いもなく合わせ、生演奏している(!!)
しかも2回撮影しても、両テイク共に「立ち位置・動き」がシンクロしていたらしく、そこにはバンドの鍛錬によって培った技術、強烈なプロ意識が感じられる。

余談ながら、自分は学生時代、プリンス&ザ・レボリューションの日本初公演となる1986年夏の「パレード・ツアー」、そのステージを横浜スタジアムで2夜連続(!!)堪能したのだが、プリンスの絶大なるカリスマぶりもさることながら、メンバー全員の一糸乱れぬ振り付け、アドリブと思しきところでのオカズの入れ方(フィルイン)が実は計算されたものだった等、終始圧倒された記憶が残っている。
あくまでもこれまでの云十年間、自分が体験したライブの中でのハナシだが、今でもトップ3に入るほどの極上のステージだった…。

閑話休題…

ただし、「Purple Rain」の後、まるでアンコールのように演奏される2曲、そのトリを飾る「Baby I’m A Star」は当初、ワン・コーラスかツー・コーラス後、プリンスが客席に振り向くクローズアップ、そのストップモーションで終わり、その後は完成版と同じようにエンドロールが流れる予定だったが、社内試写でワーナー側から「それじゃ、もったいないよ〜!」という声が上がり、再撮影されたもの。あらためてセットを組み直し、プリンスに演奏してもらったそうで、それ故なのか、役を演じていることを忘れ、素のままの“アーティスト、プリンス”に戻ったような印象を受ける。

というのも、劇中で、おそらく初めて、プリンスがカメラ目線で歌うワンカットがあるのだ。
「一晩、付き合ってみな!
 そうすればオレの考えてることがわかるだろう〜♪」

映画が「ライブ」になった、キッドが「プリンス」になった瞬間である…。


本作「パープル・レイン」は1984年7月に全米で公開され、公開3日目にして製作費700万ドルを上回る興収をあげ、トータルの世界興収は製作費の10倍、7000万ドルも稼ぐ大ヒット作となる。
またアルバム「Purple Rain」も同年6月にリリースされるや、「ビルボード」誌のチャートでトップを計24週も君臨し続け、年間売上1位のアルバムに輝いた。

ロバート・キャバロたちマネージメント陣営の思惑は、見事、実を結んだと言っていいだろう。

まぁ、アルバムがメガヒットしたのは、映画の出来云々というよりも、あくまでも個人的にだが、それ以前のR&B調・ファンク路線に、ロック的なタテ乗りが加わり、ディストーションギターを大フィーチャーした結果、「白人にも買わせてやる!」というプリンス本人の気迫みたいなモノが全編に漲った、万人にウケ入れやすい出来に仕上がったからだと思う…(笑)


最後に…

繰り返しになるが、本作「パープル・レイン」は、プリンスの“プロモーション映画”だ。
よりストレートに云えば、“ナルシスト”のプリンスが、“自分の一番見せたい”プリンスを見せている映画だろう。

だから、プリンスを全く受けつけない人には、箸にも棒にもかからない、観ている時間が苦痛に感じられるほどの駄作に思えるかもしれない。

公開当時、自分の周りにも、「爬虫類っぽい」とか、「チョビひげと、笑うと前歯が剥き出しになる顔が汚いネズミっぽい」とか、プリンスの見た目を毛嫌いする女子は少なくなかった。

正直、自分も本作を観る前は、決して大きくない身長(諸説では155cm)、撫で肩、ファルセット(裏声)で歌うスタイルから、アンドロジーナス(両性具有)的なイメージを持っていたので、劇中でのギターを背負って紫のバイク(1981年製のホンダCB400A)に跨って疾走する姿、タイプの女の子をいたらグイグイいくような“マッチョ”な感じの男を、プリンスが演じているのを観て、大いに戸惑った。

しかし、観ていて、自分が次第に引き込まれていったのは、先述したライブ演奏シーン、登場人物たちの飾らない演技はもちろんのこと、たぶん、監督アルバート・マグノーリの画面構成の上手さにあると思う。

マグノーリは、プリンス=主人公キッドの住む世界を3つの場所に限定した。

1つは、ライブ会場、
ファースト・アヴェニューのステージ。
2つ目は、その控え室・楽屋。
そして3つ目は、自宅の地下室。

アポロニアとイチャイチャしている時と、バイクに乗っている時以外、劇中のキッドは、ほぼこの3カ所にしか登場しない。

ステージは、キッドにとって自分の存在価値を確認する場所だ。
自分の好きなことをやり切るだけで、大歓声を浴び、周囲から称賛される夢のような世界。
ステージに立つ自分を照らすライトは、眩いほど明るく、まるで天国のようだ。

四方を鏡で囲まれた、薄暗い楽屋は、“なりたい自分”“あるべき自分”になるために自己暗示をかける場所と言えるだろう。
だから、ここでのキッドの精神状態はいつも不安定で、冷静さを装い、メンバーに対して非情になる時もあれば、昂った感情をコントロール出来ず、八つ当たりで楽屋にある備品を蹴り上げる時もある。

偽ることなく自分の本心を吐露した「Purple Rain」を歌い終えた後、ステージから逃げるように楽屋へと走り去るキッドを追いかけたステディカムのショットは、本作の中でもとりわけ強く印象に残る、秀逸なワンカットだと思う。

そして自宅の地下室は、中でも一番暗く、部屋の隅々に蝋燭が焚かれている。
また壁の至る所には、「When Doves Cry」のミュージック・クリップのラストカットで印象的だった白地に顔を描いたイラスト、それに似た顔の絵が貼られている。

これは地下室が無垢な存在になれる唯一の場所、母親の胎内にいるような場所でありながら、常に人(=イラスト)の視線を意識することで、いかに自分が他者から憧憬の的として見られる存在=スターであるということを、半ば強制的に信じ込ませる空間であることを意味しているのだろう。
(或いは、顔のイラストを貼ることで、あたかも大勢の人に囲まれているかのように自分に感じさせ、孤独を紛らわしているのかもしれない…)

このマグノーリの演出法は、現実と虚構の間で悩み、揺れ動く、重度のコンプレックスを抱えたプリンス演じるキッドのキャラクターを巧みに表現していると思う。

そして終盤、地下室で起こったあるアクシデントをきっかけに、キッドは「人を言葉や行動だけで判断してはいけない」、つまり、これまでの「自分の言葉や行動の真意が他人に伝わっていない」ことを思い知り、反省し、“再生”への道に一歩踏み出すことを決心するのだ…。

プリンスが本作以降、自らメガホンをとった主演第2作「アンダー・ザ・チェリー・ムーン(86年)」、さらに監督だけでなく脚本まで書いた「パープル・レイン」の続編「グラフィティ・ブリッジ(90年)」と、立て続けに大コケした結果を考えれば、本作でマグノーリがプリンスを如何に上手くコントロールし、彼が上質なエンタメ作品を仕上げる手腕の持ち主だったということが、なんとなくだが…計り知れると思う。

ただし、マグノーリ自身も、本作「パープル・レイン」以降、パッとせず、今では全く名前も聞かなくなってしまったからなぁ…(爆)