空の落下地点

魂のジュリエッタの空の落下地点のレビュー・感想・評価

魂のジュリエッタ(1964年製作の映画)
3.2
女の子ではなくなった全ての女性たちに向けた手紙のような映画。
ジュリエッタは初恋の男性と結婚して不貞や自慰の経験もない、絵に描いたようなキリスト教徒の女性。処女性を具現化したよう。しかし旦那とはその精神性を共有していないので、セックス相手としての価値を失ったら一方的に孤独になる。キリストが女性の精神的成長を妨げている、とフェリーニは妻の童顔を材料にして主張している。

彫刻家の女性は神を肉欲の対象(無抵抗なフィギュア)とすることで支配性への畏怖を解消した。
ルッキズムはある種、女神崇拝的な要素があり、老いて畏怖を誘わなくなったら他の怖いものに向かっていく。つまり男性は女性の外見に畏怖を抱き、女性は男性の内面に畏怖を抱いているということ。女性の愛は、相手が老いても価値が変わらない。初めから対等ではない。

この映画の中で最も印象的な存在は、ジュリエッタの祖父だ。娘を神-キリストに殺されかけて、劇なのに本気で救い出す。ここでジュリエッタの中で、祖父が理想のヒーロー像として固定されてしまう。そんな祖父が踊り子と駆け落ち。踊り子が借金を抱えていたとか、色々背景があったかもしれないけどそこは描かれておらず、単純に祖父が愛欲に敗けたことになっている。
構造としてはインナーチャイルド療法→過去との決別→イマジナリーフレンドと生きる選択をする、という流れ。
お祖父ちゃんではなく、老化したジュリエッタ自身が幼女ジュリエッタを救い出す。お祖父ちゃんと踊り子の出発を見送る。生身の人間を誰も信用できなくなったジュリエッタは、イマジナリーフレンドと余生を過ごす。
新婚の思い出を振り返り、独りで泣いて、旦那を不倫旅行に送り出す。激昂して詰るようなこともなく、ただイマジナリーフレンドと会話するだけ。
思考停止と徹底的な客体化、これが神とキリストが作り出した理想の女性ですか。あまりにも不幸ではありませんか。あなたは人として、彼女を自業自得だと思いますか。
善く生きた人間にイマジナリーフレンドしか残されていない、それが普遍的な現実だとフェリーニは言っています。フェリーニってフェミニストだったんだ。
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