シゲーニョ

狼男アメリカンのシゲーニョのレビュー・感想・評価

狼男アメリカン(1981年製作の映画)
4.3
今から40年以上前の古いハナシで恐縮だが…
「狼男(=人狼)映画」が、なぜか立て続けに劇場公開されることがあった。

81年6月に監督ジョー・ダンテの「ハウリング」、その3カ月後にアルバート・フィニー主演作「ウルフェン」、その翌年の5月末には、その真打ちという感じで(笑)、本作「狼男アメリカン(81年)」が登場。

この現象は、国内外で「狼男」ブームが起きたわけではなく、77年、フランク・ランジェラ主演の舞台「ドラキュラ」がブロードウェイで大ヒットし、それに目をつけた映画業界が早速、吸血鬼映画に着手。舞台をそのまま映画化したランジェラ起用&ジョン・バダム演出の「ドラキュラ(79年)」、ジョージ・ハミルトン製作・主演のコメディ「ドラキュラ都へ行く(79年)」、また前年にはヴェルナー・ヘルツォークがリメイクした「ノスフェラトゥ(78年)」が公開されるなど、(短命ながらも)一気にドラキュラ・ブームが起こり、かつてユニバーサル映画が手掛けたような「変身モンスター」が、再び注目を浴び始めたことに恐らく起因するのだろう。

また、当時、自分が高二だったその春には、週刊ヤングジャンプで「映画少年必見の号 ハリウッド電撃スクープ!」と題して、「ハウリング」の狼男へのグロテスクな変形シーン、クローネンバーグの「スキャナーズ(81年)」での頭部大爆発、「エレファントマン(80年)」の水頭症みたいな特異な容姿を、巻頭カラー&図解付きで特集。
まさに「オーメン(76年)」の首チョンパあたりから始まる、“人体破壊・切り株描写&特殊メイクブーム”の過渡期だった。

(余談ながら、池袋の大手デパート、東武百貨店ではそのブームに乗って、84年の8月にほぼワンフロアを改装して「特撮の魔術 SFX展」を開催。当時、通っていた大学が近かったこともあり、2度ほど観に行き、本作での狼男への変身過程の胸部モデルが展示されていたのを覚えている…)

本作「狼男アメリカン」の粗筋だが…
イングランド北部の寂しい片田舎を旅する、アメリカ人の大学生デヴィッド(デヴィッド・ノートン)とジャック(グリフィン・ダン)の2人が、立ち寄ったパブで奇妙な警告を受けるも荒地に迷い込んでしまい、不気味な遠吠えと共に何者かに襲われてしまう。その後デヴィットが独り、ロンドンの病院のベッドで目を覚ますとジャックは殺され、遺体は本国に帰ったことを知らされる。看護師アレックス(ジェニー・アガター)の介助もあり、回復に向かうデヴィッドだが、そんな彼の前に死んだはずのジャックが現れ、2人を襲ったのは狼男だと告げられる…という展開。

本作の企画、その着想は、監督ジョン・ランディスの実体験が元になっている。
高校中退後、メジャースタジオの20世紀FOXでメールボーイとしてキャリアを始動させた後、60年代中頃から渡欧し、小間使いから果てはスタントマンとして、様々の現場を渡り歩いていたランディスは、クリント・イーストウッド主演「戦略大作戦(70年)」に製作アシスタントとして参加。

そんな中、旧ユーゴスラビアでの撮影中、ロマ人の奇妙な葬儀を目にする。
縦に深く掘られた墓穴に、遺体を直立した状態で埋葬していたのだ。
理由を尋ねれば「もしもあの世から戻ってきても、墓から這い出せないようにするため」とのこと。
この死と復活にまつわるロマ人たちの信仰心から、ランディスは墓から復活した死者と対峙する場面、アイデアを得る。

そう、それは本作で、ジャックが殺された時のままの姿で、入院中のデヴィッドの前に突然現れ、朝食のトーストをねだるシーンに結実するのだ。

このアイデアは世に出るまで、結果的に10年あまり寝かされるワケだが、実はすぐにランディスは狼男を主人公にしたメモ(草案)を書き上げており、監督デビュー作「シュロック(73年)」製作時、特殊メイクで参加していたリック・ベイカーに見せ、ベイカーを大いに乗り気にさせる。
しかし、ランディスが以降、「ケンタッキー・フライド・ムービー(77年)」含め3作の長編映画を手掛けることによって、一向に狼男映画が作られる気配がないことにジレたベイカーは、ジョー・ダンテ監督作「ハウリング」に参加。これが後々、ベイカーの弟子ロブ・ボッティンを巻き込む、訴訟問題になりかねない喧嘩紛いの事件にまで発展するのだから、面白い(笑)。

[注:「ハウリング」の変形シーンを考案したのはリック・ベイカー。
しかし本作「狼男アメリカン」への参加を決めたベイカーは、制作をロブ・ボッティン(当時弱冠20歳!)に任せることに…。その見事なメカ仕掛けのパペット、上出来ぶりをラッシュで観たベイカーとランディスは、本作の変身シーンの撮り直しを余儀なくさせられる。
その際、ランディスは「アイデアのパクリだ!訴えてやる!」と、「ハウリング」の製作元アブコ・エンバシーに息巻いたそうで、またベイカーは愛弟子ボッティンに「上手く出来てるけど、額やこめかみ、頬が波打つところなんて『スキャナーズ』でのディック・スミスのポンプを使用した技法と全く同じでダメじゃん!」と褒めつつも、“愛のあるダメ出し”をしたとのこと…笑]

さて、本作での一番の見どころと謳われる変身シーンだが、どこをどう撮り直したのか、全く知らないが(笑)、二足歩行の「ハウリング」が主に頭部から胴体部、腕部までの“立ち姿勢”だったのに対し、本作は四足歩行の獣へと“動きながら”全身が変身する分、かなりレベルが高いというか、ハードルが上がった感が一目で分かる。

また、それまでのクラシカルな狼男映画が暗い部屋の中で、コマ取りアニメ風で見せていたのに対し、煌々としたライトの下で映し出したこと。そして2分40秒ほどの決して長いシーンでは無いものの、カット数が30を越え、CGの無い時代、実際に撮影された要素(造形物や特殊メイク)を使った特殊効果「プラクティカル・エフェクト」の到達点であることは、今現在に至っても高く評価されている事実も併せ、納得できる。

しかし、初鑑賞時、自分の脳裏を過ったのは、思春期の頃、小学生高学年から中三くらいまでの時期、身長が伸びていく時の関節の痛み、髭や体毛が濃くなった時に感じ得た異様感、その記憶だった(笑)。

手や足は、じっくりと肥大化していき、背骨はバキ!バキ!と音を立てて折れ曲がる。
次に、デヴィッドの体毛がゾゾゾゾ〜と伸びていき、その体を覆っていく…。

ランディス自身、後のインタビューで、変身する姿を男性のイチ○ツ、その勃〇のメタファーだと語っており、そう言われれば、変質していく顔面(=伸びていく顔、突き出していく鼻)は、男性の生殖器のようにも見える。

そもそも、狼が登場する「赤ずきん」「三匹の子豚」「狼と七匹の子山羊」といった童話には、「狼が家に押し入り、住人を食べる」という共通点があるように、「狼=男性の暴力性」という寓意が込められている。

そして、「男性の性衝動」についての象徴として、狼を表現しているようにも感じてしまうのだ。

童話が生まれた頃の中世ヨーロッパでは、強盗や殺人、レイプが横行しており、狼を題材にした童話は、小さな子供たちに、外の世界には「狼」のような存在がいるんだと、刷り込む機能を持っていた。

そう考えると、ランディスが本作の舞台背景を敢えてヨーロッパ、しかもロンドンにした理由が見えてくる。

本作の原題は「An American Werewolf in London」。
単純に読み解けば、ユニバーサル初の狼男映画「倫敦の人狼(35年)」の原題が「Werewolf of London」なので、それへの敬意と、ジーン・ケリー主演のミュージカル「巴里のアメリカ人(51年)」の原題「An American In Paris」をパロったものなのだろう。

しかし19世紀末、かつてのロンドンは、ロバート・スティーヴンソン作の「ジギル博士とハイド氏」が生み出された場所であり、劇場型連続殺人鬼の始祖「切り裂きジャック」事件や、本作の劇中でもタクシーの運ちゃんが「昨晩の殺人は、フリート街の悪魔の理髪師を思い出しますね〜♪」と話すように、後にティム・バートンがメガホンをとる「スウィーニー・トッド」事件が起きた、霧がかかった暗闇と血みどろが似合う「魔都」だったのである。

開巻いきなり、ボビー・ヴィントンの名曲「Blue Moon(63年)」が流れる中、映し出される荒涼とした草地、山々の頂きにかかる低い雲といった寒々とした風景は、まさに英国ハマー・プロが製作した60年代のゴシックホラー映画のようだし、デヴィッドが羽織った燻んだ赤いダウンジャケットは、どうしたって童話「赤ずきん」を連想してしまう。

ただし、ここで留意しなければならないのが、ジャックから始まる狼男の被害者が、婚約者と共に巻き込まれた女性一人を除き、全て男性であること。
これまでの童話や映画で描かれてきた狼男は、「男性の性衝動」の象徴、「女性・子供が抱く恐怖」の対象であったはずなのに…。
[注:蛇足ながら、ロンドンで殺された犠牲者6人の内、3人が当時のサッチャー政権、規制緩和の恩恵を受けた30代のヤッピー。残りの3人が逆に社会保障の削減でホームレスになった老人というのが、アメリカ人ランディスならではの、アイロニックな視点に思えて、とても興味深い]

ここからは勝手な推論だが、本作が公開された81年は、アメリカで最初のHIV感染者が見つかり、その人物が「ゲイ」であったことから、猛烈な同性愛者バッシングが巻き起こった頃だ。
つまり、男性同士の性行為「ゲイプレイ」や、自分を「ゲイ」だとカミング・アウトすることは、大いなる恐怖であったはず。

劇中冒頭、ジャックは付き合っているガールフレンドがいかにセクシーかを自慢するのだが、デヴィッドは終始「カラダだけイケてる女のことか?」「頭がイカれてんだろ?」「退屈な女に無駄なエネルギー使ってるだけだぞ!」とコキ降ろす。これはデヴィッドが同性愛者なのではと匂わせる、最初のシーンだ。

そして、中盤、人を殺めたことを自覚したデヴィットが、わざと逮捕されようとトラファルガー広場で叫ぶ言葉が「エリザベス女王は男だ! チャールズ皇太子はオカマだ!」。
この場面は、同性愛者であることを自分自身で受け入れられない「クローゼット」が、反動的にホモフォビアを装う言動にも思えてしまう。

また、デヴィッドの苗字「ケスラー」はドイツ系を意味し、入院中、看護師が「私、見ちゃったの」と言うのは割礼されたイチ○ツのことで、デヴィッドがユダヤ系であることを指し示している。

そんなデヴィッドがうなされる悪夢が、ナチ親衛隊の人狼兵団にマシンガンの乱射で家族まとめてブッ殺されるというもの(!!)。

ナチス党統治下のドイツでは「ゲイ」は違法とされ、約10万人の男性が「ゲイ」として逮捕。その内の1万5千人がホロコーストにより、処刑されたと言われている。
この史実を知れば、こんな悪夢を見るデヴィッドにとって、ナチスはユダヤ系としてだけではなく、「ゲイ」としても恐怖の対象だったのではとないかと、憶見したくもなるのだ…。

さらに、自分の勝手な「デヴィッド=ゲイ説」を決定づけたのが、ラストカット。

映し出されたデヴィッドの裸体は、史上最古のゲイ・アイコンと呼ばれる聖セバスティアヌスの殉教画、半裸で木に縛り付けられ、矢で射られている青年の姿に、ソックリなのだ(!!)

まぁ、こんなことを深読みするようになったのは、二度、三度と再見してのことだが、初鑑賞時、総じての感想は、表向きホラー映画なのに、全編に渡ってコミカルな要素、シニカルな笑いを巧に取り入れた本作が、実は「トラジコメディー(悲喜劇)」だったいうことに尽きる。

出てくる度に腐敗が進み、顔や体がボロボロになっていくジャックの台詞回しなんて、そのグロテスクな外観に反して実にユニークで、観るたびに窃笑させられてしまう。

デヴィッドに「オレは毎日、生ける屍と一緒にいるんだぞ!お前、死体と話したことある? めっちゃ退屈だぞ!」とか、天国に行けず、この世をさまよい歩く愚痴を言うのかと思えば、「このままでは人殺しになるぞ」「お前はさっさと死んだほうがいい」」と、いずれ狼男になるデヴィッドに自殺を勧めたりする。

特に印象的なのが、終盤、ポルノ映画館で、狼男に殺された犠牲者たちの亡骸が、デヴィッドに自殺方法をアドバイスするシーン。
「睡眠薬、大量に飲めば?」「感電死は?」「飛び込み自殺は?」「銃なら一発で済むぞ!」「溺死もいいぞ!」など、頭から血をダラダラ流しながら、冷笑しつつ皮肉たっぷりに助言するのだが、途中、ジャックは「苦しまずに死んでほしい。だって君はボクの大切な親友なんだから…」 と、ちょっとホロっとくるような台詞を吐く。

また、自死を選択したかのように思えるデヴィッドの佇まい&行いが、観ていて胸が締め付けられるというか、切なさを感じてしまう。

デヴィッドは、ピカデリー・サーカス広場の公衆電話から、アメリカの実家に電話をかける。
それは人生の最期を後悔なく迎えるため、自分の思いを改めて伝えておきたいからだろう。
しかし、両親は不在。そのためデヴィッドは妹のレイチェルに「パパとママに愛してると伝えてくれ、みんな愛してる、いい子にするんだぞ」と、電話口で嗚咽をこらえながら話し続ける。

そして、入院中はもちろん、退院しても自分を親身になって支えてくれる看護師アレックスへの思い。

一夜をベッドで共にしたデヴィッドは、アレックスにこう語る。
「ずいぶん昔の『狼男』の映画、観たことある? あの作品で最後、狼男は父親に殺されるんだけど、どういうことだと思う? たぶん、狼男は最愛の人に手を掛けられて、天に召されることが出来たんだろう。僕もあんな風に死にたい…」

これは孤独な死を迎える男が、愛に枯渇し、それを望む。まさに心の叫びだ。
ただし、デヴィッドの一方通行の思いに見えてくる。

自分が狼男だと自覚したデヴィッドは、「僕のそばにいると危険だ。でも君を愛している」と告白するが、アレックスは一瞬、その言葉に戸惑い、「えっ? あなたを助けたいのよ…」としか言い返さない。

これも勝手な推論だが、この僅かながらのやりとりを観ると、アレックスのデヴィッドに対する献身的な行動は、決して愛とか恋とかではなく、「ナイチンゲール症候群」、つまり、看護師が世話を行う患者に対して、一時的に恋愛・性的な感情を抱いてしまう現象に思えてならない。

この言葉は、終盤のクライマックスでもリフレインされる。
銃を一斉に構えた警官隊に囲まれたデヴィッドに向かって、アレックスは喉の奥から絞り出すような声で「あなたを助けたい。愛してる…」と語りかける。

もしかしたらデヴィッドはその言葉が偽りだと思ったのかもしれない。
或いは、死ぬ直前ではなく、もっと前に聞きたかった言葉なのかもしれない。
結果的に、デヴィッドは無念さを表すような、また怒りに満ちたような表情で、最悪の行動に出てしまうのだ…。

本作「狼男アメリカン」は、上述したように、ビビっていいのか笑っていいのか、あるいは泣くべきなのか、観ていてリアクションに困るシーンのオンパレード。

バックに流れる劇伴、既成曲さえも、不釣り合いというか、嘲笑的に聴こえてくるのだ。

本作のキーワードが「Beware the Moon(月に気を付けろ!)」なので、すべての楽曲のタイトルに「月」がついている曲が使用されている。

先述した冒頭のボビー・ヴィントンの「Blue Moon」や、アレックスとのラブシーンに流れるヴァン・モリソンの「Moondance(70年)」は、一応、画のイメージと上手くリンクしているように思えるが、満月が昇り出し、刻一刻と狼男への変身・恐怖の瞬間が迫る中、聴こえてくるのがCCRの「Bad Moon Rising(69年)」。

「悪い月が昇るのが見える/(中略)今夜はうろつくんじゃない/君の命を奪うに違いないんだ」と、歌詞はちゃんとフィットしているのに、カントリーロック独特の明るめな曲調が、観ているコッチ側のテンションと、微妙に合わない。

そして、誰もが待ちわびた変身シーンのBGMが、再び「Blue Moon」、今度はサム・クックのカバーバージョン(58年)。壮絶な絵づらに、軽快なシャッフルリズム…これこそがランディスの狙いなんだろう。恐ろしさよりも逆にデヴィッドの悲哀を感じてしまうのだ。

このようなシニカルな曲のチョイスは最後まで続く。
ラストカットが唐突に黒オチし、カットアウトした瞬間、エンドロールと共に流れるのが、Doo-wop調で能天気な、マーセルズが61年にカバーした「Blue Moon」なのである…。

伝え聞くハナシによれば、製作資金を集める段階で、多くの出資者がコメディにしては恐ろし過ぎて、ホラーにしては笑える場面が多い脚本に、二の足を踏んだとのこと。

日本の配給会社も、どう売り出していいのか迷ったのだろう。
その証拠に公開当時のポスターは、たしか2タイプほどあって、1つは狼男の変身シーンをコラージュした写真に、「こんどはどんな肉が喰えるのか!」というキャッチコピーが、オドロオドロしいフォントで記されたホラー映画風味。

もう1つのポスターは、ポップな感じのイラストが描かれていて、キャッチコピーも「ゾーとして、そのあとケケケと笑える!狼男、ロンドンで大暴れ!!」というコメディ調で、他にも小さく謡い文句が並んでおり、中でも要注目なのは「狼男、水で割ったらアメリカン!」。これは当時サントリーのブランデーVSOPのCMで「ブランデー、水で割ったらアメリカン」というコピーが流行り、それに引っかけたダジャレ・ギャグだ。

劇場での初見時、自分自身も「恐怖」と「笑い」、プラス「涙」のアンバランスな融合というか、「ホラーを突き詰めるとコメディになる」ということを気づかせてくれたような本作の作風を、どう咀嚼すべきか正直戸惑ったが、後に続くサム・ライミの「死霊のはらわたⅡ(87年)」や、ピーター・ジャクソンの「ブレインデッド(92年)」等を観るにつけ、「その先駆けだったんだなぁ〜」と今更ながら、深く関心させられてしまった次第である(笑)


最後に…

本作「狼男アメリカン」は、監督ジョン・ランディスのフィルモグラフィーを俯瞰で見ると、非常に意味深い作品に思えてならない。
監督デビュー作となるインディペンデント作品「シュロック」は別にして、本作製作に至るまでの3本は、ほぼほぼ雇われ監督に過ぎなかったからだ。

「ケンタッキー・フライド・ムービー」は、後に「フライングハイ(80年)」「裸の銃を持つ男(88年)」で大ヒットを飛ばす、ザッカー兄弟&ジム・エイブラハムズのトリオが創設した劇団ケンタッキー・フライド・シアターの演目、ショートギャグを元に映画化したものだし、続く「アニマルハウス(78年)」はユニバーサルに招かれ、初のメジャー作となるが、パロディ雑誌「ナショナル・ランプーン」が初めて映画製作に乗り出し、且つ後に「ゴーストバスターズ(84年)」を手掛けるアイバン・ライトマンとハロルド・ライミスが企画したもの。そして「ブルース・ブラザース(80年)」はご承知の通り、TV番組「サタデー・ナイト・ライブ」のレギュラーだったジョン・ベルーシとダン・エイクロイドのサイド・プロジェクトを、ストーリー化したミュージカル・コメディだ。

つまり、本作は「シュロック」以降、メジャースタジオで初めて、ランディス単独で企画・脚本・監督を兼ねた作品だったのである。

もちろん前述した作品にはランディスならではのアイデア、個性を発揮した演出法が盛り込まれているし、本作「狼男アメリカン」にも、撮り上げた作品にあったバカげた笑いとアクションが緊密に接合され、物語がスペクタルへと変質していく独特のスタイルは、当然引き継がれている。

例えば、本作終盤の、ピカデリー・サーカス広場での一見、無駄に思える(笑)カークラッシュは、「アニマルハウス」でのエリート学生のパレードを落ちこぼれ軍団がぶち壊すシーンや、「ブルース・ブラザース」の数十台のパトカー、果てはショッピングモールまでも破壊するカーチェイスに、負けないくらいのカタルシスを感じることが出来るし、小さなところだが、デヴィッドとジャックの凸凹コンビなんて、そのやりとりを見るにつけ、やや強引かもしれないが(汗)、「アニマルハウス」の狂言回し役となる新入生コンビや、「ブルース・ブラザース」のジェイク&エルウッドの姿がダブって見えてくる。

だが、往年のTVSFドラマを映画化したオムニバス「トワイライトゾーン/超次元の体験(83年)」撮影中、コントロールを失ったヘリコプターが墜落し、主役のヴィック・モローと子役ふたりが亡くなる大事故が起き、この悲劇はランディスの以降の監督作に大きな影を落とすことになってしまった。

この不幸は撮影現場での技術的なミスが起因とされているが、ランディスら製作サイドは何年もの間、おびただしい数の取り調べを受け、責任を追求されたらしい。

「トワイライトゾーン〜」以降、ランディスは「大逆転(83年)」「星の王子 ニューヨークへ行く(88年)」などのコメディー作品も手掛けたが、かつてのような、大ぴっらにハメを外した、ギャグとグロ描写を並列に扱う演出スタイル、ハイテンションな破壊と爆笑で埋め尽くされた痛快作があまり見られなくなったのは、本当に、本当に…残念としか言いようがない。

「ブルース・ブラザース2000(98年)」の興行的不振によって、ゼロ年代以降、ハリウッドから距離を置き、TVプロデューサーの活動がメインとなる時期もあったが、ランディスは本作「狼男アメリカン」以来、久々に英国に渡り、サイモン・ベッグとアンディー・サーキスの凸凹コンビを主人公とした、ブラック・コメディー「バーク・アンド・ヘア(10年)」のメガホンをとる。

19世紀前半のスコットランド、エディンバラで実際に起きた連続殺人事件を基にした作品で、本作でアレックス役を演じたジェニー・アガターもカメオ出演し、相も変わらずの美しさを久しぶりに拝ませてくれた(!!)。

ジョン・ランディスは御年73歳。

80年代のハリウッド・エンタメ映画を担う監督として、共に注目を集めたスティーブン・スピルバーグ(76歳)や、ジョージ・ミラー(78歳)が、まだまだ現役として第一線でガンバっているだけに、ちょっとだけ若いランディスはまだ老けこむ歳じゃないはず。
全盛期のパワーに満ちた作品を知る自分にとっては、もっともっと短いスパンで監督作を発表して欲しいと願うばかりである…。