レオピン

絶唱のレオピンのレビュー・感想・評価

絶唱(1958年製作の映画)
4.2
若様 若さま~ 
若さまって呼ぶなって言ってるだろ こいつはいつもいつも ボガッ

数多くあるアキラとルリ子共演作の中でも最高傑作との声を聞いて観た。

大江賢次の原作小説
大地主の息子園田順吉と山番の娘小雪
身分制 封建制 戦争 
今の私たちにはもうこんな障壁はないが、代わりに色々なものも同時に失ってしまった。

順吉は京大へ進み、読書会やら同人誌活動やらをしている。詰襟のアキラが初々しいが、あの頃あんな朗らかに活動ができたんだろうか。憲兵の目をもっと意識していたはずだが、みんな笑顔だ。
対称的なのは小雪の両親たちだ。特に母の山根寿子の姿に涙。母としての苦悩がよく出ていた。

山娘である小雪の家はサンカであるとの意見を目にした。彼女の「ハッ 若様の足音!」というニュータイプ能力もさることながら、二人は毎日午後3時に、遠い地にいても吉野の木挽き唄を歌いあおうという約束をかわしていた(イスラム教徒か)。順吉は戦闘でそれどころじゃなくなっていくが彼女にははっきり聞こえていたのか。

終盤、順吉の帰りを今か今かと気を揉ませる。そして弱っていく一方の小雪。この演出はききすぎてもはや『E.T.』を超えた。はよはよ~
原作では、順吉はシベリア抑留の憂き目にあったという。彼は彼で地獄を見てきたのだ。そして帰ってきたその日にあの場面に出くわす。。

昭和になってもなお残る封建制の悪弊。太宰もそう 大地主の息子の辿る典型的な道でもあった。順吉にとっては父を形作るものが全て敵に思えたのだろう。

家や出自に疑問を持ち、彷徨するなんていうのもアメリカ映画にもよくある。ボブ・ラファエルソンの『ファイブ・イージー・ピーセス』なんてのもあった。父は息子に、お前はシソウにやられたなと言う。そんな父を演じた三津田健は若き日に二度も自殺未遂をくり返す程の煩悶青年だった。シソウからあえて親に反発して身分の低い者と一緒になるというのは、本当はいやらしい部分もある。だがそこに戦争があった。戦地に行った人は煩悶なんかしない。

行動の極端さというのはやはりそういうところか。あの最後の婚礼には、思わずジョニー・トーの『ヒーロー・ネバー・ダイ』も思い出す。だが村人たちにとっての衝撃は、あの型破りの婚礼よりも、山園田の財産を全て分け与えますとした宣言の方だろう。あれはマッカーサーの農地解放指令よりも早かった。順吉の民主宣言 革命宣言だ。

これまで純愛モノの文芸映画ってちょっと受けつけない所もあったが、韓流の洗礼を浴びている今からすると、なあんだ なるほど って思っちゃう。
『絶唱』も、何度もくり返し映画ドラマで作られたが、親の反対で一緒になれなかったというアキラとルリ子の本作が一番いいのではと、他のを見ていないがそう確信する。
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