Kamiyo

七人の侍のKamiyoのレビュー・感想・評価

七人の侍(1954年製作の映画)
5.0
1954年 ”七人の侍”  監督 黒澤明
脚本 黒澤明 橋本忍 小国英雄
あらすじは書くまでもない。。。みんなが知っている…
今更何も言うことがない。。もう何回も観ている

白黒であるにもかかわらず、妙に映像が鮮やかなところにまず驚いた。もう何十年も昔の映画であるにもかかわらず、とてつもなくクオリティが高い。
マルチカメラ方式を邦画で初採用した、映画史に残る雨中の戦闘。今日に続く映画の基礎を作った偉大な映画。
3時間越えとかなりの冒険をしてしまっているが、退屈する余裕などなく、時間いっぱい、小便にさえ行きたくならなければ間違いなく楽しめる。
単に面白いだけでなく、現代の撮影手法や、個性的なキャラクター設定のテンプレート等がほぼ全てこの映画から生まれているので、映画における歴史的価値も高い。
戦いの中で多くの仲間が死んでしまうのだが、誰一人として刀ではやられておらず、皆絶対に鉄砲に殺されてしまっている。そして最後の「勝ったのは農民だけだ」という台詞に、最早時代は侍を必要とせず、移り行く世の中の変化に取り残されながらも生きるという、滅びの美学のカタルシスが最高にたまらない。山賊達にしても、元侍が戦が必要でなくなったために落ちぶれて現れた存在であり、
多くの武士たちが命を落とす。
結局、彼等は武士としての死に場所を求めていたのだ。
まだ武士になりきれていない若い勝四郎を除き、生き残った二人の浪人は“死ねなかった”ということだろう。
恐らく彼等は、また別の死に場所を探し求めるのだろう
こうしたテーマを一貫してぶれることなく描ききっている点が個人的にこの映画の最も好きなところだ。

前半の「侍集め」のシーンが好きだ。一人、また一人と勘兵衛(志村喬)の人格を慕って集まる侍たち。落ちぶれながらも、誇りを保ち、武士としての誠を捨てずにいる侍たちが、和(輪)を作り出していくところ、ここがいい(このシーンあってこその後半だと思う)。
挫折を経験し、弱者の気持ちを理解できるカリスマ、勘兵衛の管理職としてのあり方を注視するようになってきた気がします。

描かれている百姓と侍の関係は深いものがあります。
野武士たちから農民を守るべく立ち上がった七人の侍。
だが、その農民たちが、「落ち武者狩り」で得た鎧を村に幾つも隠し持っていた。これを目にした侍たちが言う「俺ぁ、この村のやつらを斬りたくなった」・・・この言葉を寡黙な剣客、久蔵(宮口精二)が口にするところ、そこに胸が痛くなる。(この一言で侍たちの過去が見えてしまうのだから・・・この映画たまらん。)
菊千代(三船敏郎)が百姓の気持ちを代弁して叫ぶシーンは、一番ぐっときた。
「百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、“人殺しだぁ!”」
という菊千代の台詞は強烈です。
百姓の本性を暴きつつ、しかしこんな生活をしなければいけないのは農民を苦しめる侍のせいだ、という叫びが見る側に突き刺さります。
宮口精二扮する剣豪・久蔵が渋い。

戦後9年目で3時間以上の大作を作った黒澤明監督は
凄いなと思った。しかも大雨の中の戦いを撮るのは難しい技術だったと思う。
きっと黒澤監督の中には、まだ戦後復興期の時代、国民を鼓舞する意味も含んでいたのだろう。
そのことは、ラストの「勝ったのはあの農民たちだ」に現われている。
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