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非情の罠のすえのレビュー・感想・評価

非情の罠(1955年製作の映画)
3.7
記録

【誰もが知っていて誰も知らない男、スタンリー・キューブリック】

改めて観ると、『拳闘試合の日』での経験が確実に生かされていることが分かる。今作は劇映画のためドキュメンタリーの『拳闘試合の日』よりも、より演出的で大胆なカメラワークになっている。リング隅からのショットや、下から見上げるようなアングルもみられ、軌跡を感じる。

プロットは凡だが、中々ユニークな作品。作風にキューブリックらしさはあまり見られないが、引き締まった画はやはり彼らしい。

自分自身のためとはいえ長くなりすぎた、反省。大学の課題もこれくらいパッと書ければなぁ…
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【『非情の罠』の始まり】
1954年、『恐怖と欲望』で集めた注目に力を得たキューブリックは、自分で決めた二作目の長編映画を推し進めようとしていた。このプロジェクトは『恐怖と欲望』が上映されていた1953年に始まった。彼は落ちぶれ果てたボクサーのアクション場面をつなぎ合わせ、脚本を肉付けしようと考えた。

ボクシングは彼が深く理解している職業であり、『ルック』誌で記事を書いたり『拳闘試合の日』を作ったことで、彼はプロボクサーの世界に魅了された。実存主義をそのまま生きるような男が、荒涼とした人生観の中で命をかけて戦うというのは、長編映画にもってこいのテーマであり、彼は悲恋というフィルム・ノワールの定型と、ニューヨークの脆弱さが結びついた映画にしようと考えた。

【資金集め】
映画の資金集めでは、再び友人や親戚に頼ることになった。『恐怖と欲望』では利益が出なかったため、今回は別の友人や親戚から借りることにした。4万ドルの予算のほとんどをブロンクスの薬剤師モリス・ブーゼルから借り、ブーゼルを共同製作者としてクレジットした。

【脚本】
キューブリックは『恐怖と欲望』に続き再びハワード・O・サックラーと脚本を作ることにしたが、サックラーは脚本家としてクレジットされなかった。映画のオープニング・クレジットでは「Story Stanley Kubrick」
となっている。最初にキューブリックとサックラーが書いたニューヨークのボクサーの話は、『Kiss Me, Kill Me』という題名だった。

【制作】
1954年、ニューヨークのロケ地から制作は始まった。キューブリックは、ゲリラ的に路上撮影を行ったり主な登場人物が安アパートで繰り広げる各シーンは、小さなスタジオで撮影された。『恐怖と欲望』に出演したフランク・シルヴェラをはじめとして、出演者のギャラはわずかだった。キューブリックは撮影を低予算映画としては長い12〜14週間のスケジュールで行った。彼は「何もかも低コストだったので、プレッシャーがなかった。それ以後、二度と味わうことのできない特権だった。」と語っている。
彼は『恐怖と欲望』を助手なしで撮影したが、今回は初めて撮影助手と作業した。

キューブリックや出演者たちは、路上撮影の許可を取っていなかったため、路上では慎重に撮影しなければならなかった。キューブリックは自らアイモ(35mmフィルムの映画用カメラ)を使い、そのシーンを撮影した。盗られたスカーフを追ってブロードウェイを駆けてゆく場面は、キューブリックがカーブぎりぎりに運転するトラックに潜んで、トラッキング・ショットのように撮ったらしい。

ポストプロダクションで資金が足りなくなり編集のアシスタントを雇うことができなくなったキューブリックは、1人で編集を行った。ダビング作業は手間と時間がかかり、すべてを編集し終えるまで4ヶ月かかった。

【配給】
映画が完成し、延べ払いと組合負担金を払うと、最終的なコストは7万5000ドルにまで膨れ上がった。キューブリックはそれをユナイテッド・アーティスツ(UA)に売ることができた。UAはそれを海外配給も含めて買い取り、『非情の罠』というタイトルで公開した。UAは、『非情の罠』を二本立ての併映の一本として上映することによって収益を上げることができたが、キューブリックは費用を回収できなかった。しかし、彼は『恐怖と欲望』の時と同様、最終的に借金を返済した。彼が資金繰りに関して個人的に責任を持つのは、この作品が最後となる。

【キューブリックにとっての今作】
キューブリックはその後もずっと、今作をアマチュアの仕事で、学生映画だと言い続けた。予算不足、無名に近い出演者、技術不足のスタッフ、そしてあとで音合わせした台詞などの要因で、彼は妥協的にならざるを得なかったのかもしれない。しかしながら、映画制作法を発掘し習得するだけでなく、映画的な映像を作り出す才能が、この作品で既に発揮されている。

【フィルム・ノワール】
当時の若者らしく、キューブリックも世界の激しい変化に影響を受けた。第二次世界大戦後は、世界滅亡の危機と、核爆弾時代の恐怖が付きまとう時代だった。芸術家としてキューブリックは後にフィルム・ノワールとして知られるようになる映画ジャンルで、暗く突き放した世界観を表現した。

フィルム・ノワールは、フランス語で「黒い映画」という言葉を翻訳したものである。「フィルム・ノワール」は、18,19世紀のフランスの文芸評論家がイギリスのゴシック文学を表現するのに用いたという「ロマン・ノワール(黒い小説)」という語から発生した言葉だ。1950年代、フランスの評論家が、40年代から50年代初期のハリウッド映画にある特徴を見つけ、それを「フィルム・ノワール」として体系化した。

このような映画は、シニカルで冷酷で宿命論的な一匹狼が数多くいる犯罪と腐敗の暗黒街を描き出す。映像は寒々として、徹底的に暗い。場面の多くは夜で、影と悪の蠢く暗黒の世界。フィルム・ノワールを撮るカメラは、薄暗く、現実的で、粗末に、そして簡潔に、希望のない光をとらえる。それは、極端なアングルから当てた眩い照明と闇によって作られた、硬派でコントラストの強い映像である。差し迫った運命から逃れる希望も方法もない映画である。

【『非情の罠』について】
興行成績を気にしたキューブリックは、エンディングを作るにあたり決意が揺らいだ。フィルム・ノワールに登場する恋人は幸せになれない、ヒーローも心の平安を得ることはできない。その様式を破り、キューブリックは映画の暗い調子と相反し、結末を明るく幸せに変えた。彼のフィルム・ノワールは不完全に終わった。

今作ではインターカットを利用して登場人物を関係付け、書き込まれた構造を速いテンポで補っている。ここでは、監督としてもカメラマンとしても素人っぽさの抜けないところはあるが、彼の編集技術は無駄なく簡潔で洗練されている。

また彼は、ボクシングの試合シーンにおいて『拳闘試合の日』の制作時に考案した技術をいくつか使った。カメラを大胆なまでの斬新さで試合に参加させ、そのシーンに積極的に入り込んでいく。ローアングル撮影、歪んだワイドアングルのクローズアップ、そして天井のギラギラした眩しい照明が試合の熱気を伝えている。

そして今作で彼、は車から撮影することで映像に動きを出すことに成功している。通常のトラッキング・ショットを行えなかった彼は、代わりに車から手持ちカメラで撮影することを思いついた。試合が終わって道を渡るヒロインを高いアングルからの移動撮影で撮った場面は、まるで幽霊のような彼女の「歩みを捉えている。

サウンドトラックは、すべてポストプロダクションで作られた。鮮明な音響効果や、人工的ではあるものの効果的な音を作り出している。キューブリックは、一つの足音や足ずりにリアリティを持たせるため、多大な労力を費やしてすべての足音や体の音を合わせていった。

【アマチュアからプロへ】
この『非情の罠』でキューブリックのアマチュア時代は終わる、次の『現金に体を張れ』では成熟をみせ、監督しての才能を存分に発揮している。アマチュアからプロへの過渡期の作品として、今作は非常に価値のあるものとなっている。
ここから、キューブリックは唯一無二の作家として名を馳せてゆくことになる。

2023,20本目 1/17 DVD
2023,246本目 8/31 DVD
2024,38本目 2/15 DVD
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