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ノートルダムの傴僂男のKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

ノートルダムの傴僂男(1939年製作の映画)
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ライティングの制御が素晴らしいし、パリの街並みのセットに人がひしめき合っている俯瞰ショットは圧巻。

ジプシーの娘がせむし男に初めて会うときのせむし男を逆光で撮ったところなど、照明や音楽、編集が終始ジプシーの娘の目線になっているところが印象的。だが、観客はせむし男の眼差しにも同一化しているため(せむし男がジプシーの娘を追いかけるシークェンスでは、せむし男が彼の育ての兄に指示を受けている描写がある)、娘の眼差しとせむし男の眼差しに引き裂かれることとなる。

スターらしいスターが出てこないのも印象に残った。チャールズ・ロートンは同時代的にもかなり有名だが、例えばジョン・ウェインやボギーがこんなメイクはしないだろう。この映画のロートンを観ただけで、彼がロートンだとはわからないだろうし、このような俳優の素面がわからなくなるメイクをスターにしたら、スター・システムの意味がなくなってしまう。

せむし男が美醜の間で引き裂かれるメロドラマになっているが、何をしてもジプシーの娘が振り向いてくれない(そして彼女に悪意がない)ところがいい。グーテンベルクの活版印刷という同時代的なニューメディアを用いて市民が自律し、市民と王族という善性を携える二者を阻む、裁判所という悪性を克服する『スミス都へ行く』みたいなアメリカ的メロドラマを展開しておきながら、せむし男は醜さから逃れられないというのが悲劇に拍車をかける。
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