みかんぼうや

楢山節考のみかんぼうやのレビュー・感想・評価

楢山節考(1983年製作の映画)
3.7
ここまで想定していた内容と大きなギャップがあった作品も久しぶり。母と息子が苦難を乗り越える悲しくも感動のヒューマンドラマを期待していたら、実際は寺山修司の「田園に死す」に引けを取らない衝撃的な稀代のカルト邦画でした。

舞台は信州の山に囲まれた小さな部落。この地域では、70歳を超える高齢者は楢山(ならやま)の山奥に連れていかれその生涯を終えるという、いわゆる姥捨山(うばすてやま)の伝統的しきたりが存在する。本作は、70歳を迎えた実母おりんを緒形拳演ずる一人息子の辰平が楢山に捨てにいくという話。

これだけ聞くと、母を愛しながら、しきたりに従い、楢山に連れて行かねばならない息子と母の愛情の確かめ合い、そして息子辰平の葛藤の物語、という極めて心に訴えかけるヒューマンドラマに聞こえます。いや、たしかにそれも本作の一つの重要な要素であることに間違いありません。

が、それ以上に本作の個性を決定づけているのは、この村に漂う我々の常識を遥かに超えた“違和感”と“不気味さ”ではないでしょうか。では何に“違和感”と“不気味さ”を感じるのか。それは、この村が守り続けるしきたりや慣習そのものと、その環境により育まれた村人たちの特殊な価値観です。

前述の70歳を超えた高齢者の姥捨てはもちろんのこと、少し食料を盗んだ一家全員を生き埋めにして根絶やしにする、父親が死に際に実の娘に村の男全員と性行為するよう遺言を残す、弟の童貞を捨てさせるため実の妻に弟との性行為を頼み込む、それがうまく進まないと近所の70歳近いお婆さんが性行為に協力する・・・我々の常識では考えられない異常なしきたりと感覚を、この小さなコミュニティの人々は疑問も持たずに受け入れる。

その様子は、まるで日本版「ミッドサマー」。

しかし、「ミッドサマー」は壮大な民族コントに見えましたが、本作は昔の日本の人里離れた農村ということもあり、実際にこんなことが起きていたのではないか、という妙な生々しさを感じてしまうのです。だから余計に気味が悪い。

ただ、そんな気味悪く奇妙な雰囲気の中で話が続きながらも、最後はしっかり親子の絆を訴えかけてくる、なんとも不思議な作品。衝撃で呆気にとられる気持ちと苦しさで胸が詰まるような感覚が鑑賞中に同時に沸き起こるから、頭の中も感情も整理できていないまま終焉を迎える。そこに残る味わったことのない独特な余韻。今村昌平監督、恐るべし。

しかし、本作で描かれる70歳になったら姥捨て山へ行くという設定。そんなしきたり実在したかどうかはさておき、制度としてはある意味「PLAN 75」ならぬ「PLAN 70」だな、なんて思いました(一応、本作でも本人たちが自分の意思で行けるようなので)。そう考えると、日本という国は、仮に伝記や空想であっても、代々どこかで高齢者に対してこういう発想が生まれる国なのだな、となんとなく悲しくなってしまいました。
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