Kuuta

トウキョウソナタのKuutaのレビュー・感想・評価

トウキョウソナタ(2008年製作の映画)
4.0
役割を背負って動けない大人と、役割を拒む子供の快活なアクション。相米慎二やトリュフォーを連想するが、今作は大人も子供も苦しんでいて、あっちこっち動く。

虚構が現実を侵食する様子をホラー的に描く前半から、虚実一体となった不思議な世界を旅する後半へ。ここまではお馴染みの展開だが、最後に家族がもう一度家に帰って普通に飯食い始めるシーンで家ってすげえなあと。生と死を分断する十字路じゃなく、両者が同時になだれ込むY字路の先にあるという、あの家の立地も生きている。

社会から離脱し、役割を放棄させられたホームレスは一歩間違えれば死者になる。「ここから一生出られなくなるぞ」。現実から離脱しかかった、不安定な存在を隔離する場所としての病院、留置所。

人の流れは電車や通勤風景の列として示される。二階は日常から離れた異空間。日常からの離脱は階段からの落下、日常への復帰はハローワークで上に伸びる階段として描かれる。食卓は階段によって分断されていたが、ラストの朝食で棚の中に収まる。

父親(香川照之)は家族を「屋根の下」で守ろうとするが、妻(小泉今日子)はオープンカーで逃避する。核の傘との繋がり。朝帰りを繰り返す長男(小柳友)は日常と非日常が倒錯しており、両親も次男(井之脇海)も朝帰りを経験し、両者が一体となった新しい日常を歩み出す。

役割から逃げた先に、この世とあの世の境界として海が待っているのは「大人は判ってくれない」っぽかった。一瞬観覧車も出てくるし。役所広司との逃避行の勢いが最高。強盗のマスクを付けたり外したりのギャグとか、唐突な回想とか、一気にリアリティラインが壊れ始める。

黒沢映画を昔のものから順に見ているのだけど、虚実の間の曖昧さを単なる恐怖表現として投げ出すのではなく、未来への希望として回収するように変化しているのかなと思う。

今作のラストシーンも、カーテンの意味が冒頭とは真逆になっている。カーテンは日常(内部、家、生者)と非日常(外部、社会、死者)を隔てるものが、冒頭で世界の「不穏さ」を暗示していた「揺れ」の運動が、ここでは、未来を切り開く「可能性」として提示され直している。

次男は大人に捕まったから家に戻ってこられた訳で、役割の内と外の間で行ったり来たりする揺らぎこそが、人間の生なんだろう。それを示すのが、むっつりスケベと判明しても威厳を保つ教師(アンジャッシュ児嶋)だし、背負わされた役割を受け入れ、能動的に行動するようになる妻に小泉今日子を置いたキャスティングも絶妙。80点。
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