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ミヒャエルのemilyのレビュー・感想・評価

ミヒャエル(2011年製作の映画)
4.1
 保険会社に勤める35歳の男ミヒャエルは独身で真面目な男だが、ある秘密がある。それは自宅の地下室に10歳の少年ウォルフガングを監禁していることだ。少年は夜の数時間だけ部屋から出ることを許され、また次の夜まで閉じ込められる。ある日ミヒャエルが交通事故で入院することになり・・・

 児童誘拐、監禁などのタブーに切り込みながら描写はいたって日常の当たり前を淡々と紡ぎあげるようにミヒャエルの目線で描かれていく。人付き合いが多い方ではないが、社会とのつながりはしっかり持ち、仕事を真面目にこなし、日々の”ふつう”をしっかりと描写していく。しかしその“ふつう”は彼自身が本来の自分でいられる”普通”の生活とは反しているのだ。家に帰り地下の一室にはウォルフガングが居て、二人のなれあいは親子のそれそのものだ。一緒に食事をして、遊ぶ。直接的な描写はなくとも、ミヒャエルの目線や手の動きが性的欲求を表現し、少年の小さな抵抗は見事に打ち砕かれ、自分が自分で居られる居場所を守るため、日常の生活を見事なまでに演じている。

 閉鎖的なカメラワーク、ほとんど会話のない日々、他の子供との会話、不穏な部分を日常の隙間にこっそりと忍ばせ、何も起こらない日々の中に潜む狂気はまるで誰しもが持ち合わせている物のように、”普通”の物として綴られるのが今作の極悪な部分であり、見事に観客の心理に溶け込んでくる。
ジワリと迫る緊迫した空気感が観客と一致するように弾けるのがある夜の食事のシーンであろう。固定カメラで横から二人を捉え、まるで絵画をみているかのような美しいシーンであるが、少年の受け答えの一言で見事に二人の関係性と、少年が抱えてる物のすべてが見えてくるのだ。所詮子供の力では大人に及ばない。そのパワーバランスをしっかり把握し、絶対に出ることができない檻の中にいつも少年が居る安心感は彼の日常を構築するために必要な存在であり、それはずっと変わらず続いていくかのように作品は綴られていく。

当然永遠に続く物などないが、このままの二人の関係がずっとそのまま続いていけばと観客に願わすのは、それが気が付けば観客にとっても”普通”になっているからだろう。当然異常な事だとわかっている、しかしミヒャエルの普通が壊れなければ、事態が悪化することはないと思わせる、異常な感情を自然な流れで観客に植え付けてくる威圧感を持ち合わせているのだ。そうして気が付いたら異常と普通の境界線がぼやけていく。誰もが隠し持っている狂気、要はそれが浮き彫りになるかそれとも生涯隠し通せるか。人の中身など見た目では全く判断できない。ラストからエンディングの悪意と不気味な余韻への落としも絶品だ。自分の中の”普通”が破壊される。異常なのは彼なのか、それとも普通だと感じてしまう自分なのか・・・
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