真一

加藤隼戦闘隊の真一のレビュー・感想・評価

加藤隼戦闘隊(1944年製作の映画)
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 太平洋戦争🔥下の1944年3月に国策映画🇯🇵として上映された本作品🎥の、思わぬラストにぐっと来た。時の独裁者・東条英機🕶️への批判メッセージ👊としか受け取れない字幕が浮かんだからだ。マレー半島の大空🟦を行く隼戦闘隊🛩️の勇姿に続き、白黒の字幕が一瞬だけ浮かび、消える。

「前線は待つ 鐵を 飛行機を」

 毎日新聞📰の新名記者が「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ」と書いて東条英機🕶️を激怒させたのは、1944年2月。この「竹槍事件」からわずか1カ月後に出たのが本作品🎥だ。サブリミナル効果を狙ったようなこの「瞬間字幕」の趣旨は、無謀にも東条🕶️に刃向かった新名記者の論調と同じ。本作品🎥を出した東宝映画🏢は、戦闘機🛩️も食糧🍙も手に入らないまま死に絶えていく前線兵士🧔の遺志をくみ、危険な字幕を入れ込んだのだろうか。陸軍省🏯の検定を、よくすり抜けたものだ。

 「前線は待つ 鐵を 飛行機を」

 映画上映までに戦況は悪化の一途をたどった。前年の43年にはアッツ島で日本軍🇯🇵の守備隊💂‍♂️が全滅し、連合艦隊司令長官🚢の山本五十六👤も戦死した。追い詰められた東条内閣🇯🇵が、学徒出陣👨👨👨に踏み切ったのも43年だ。厳しい情報統制が敷かれていたものの、兵士🧔も武器🔫も事欠いていた実情は、分かる人には分かっていた。そうした時代状況を考えると、このメッセージ✍️の持つ意味の重さがずっしりと伝わってくる。

 そうした当時の苦しい戦況☔と裏腹に、本作品🎥は、日本🇯🇵の連戦連勝☀️に湧いた戦争初期を中心に描いている。伝説のエース・パイロット加藤建男👤が、衣食住そろった基地から戦闘機🛩️で発信し、オランダ機🇳🇱を鮮やかに撃ち落とすシーンが続く。部下と談笑する場面もふんだんに盛り込まれており、思わず「加藤少佐、かっこいい!」と叫びたくなる。そう、本作品🎥が取り上げる1941年12月当時の明るい戦況🌞は、映画上映時から見れば「古き良き時代の思い出話」に過ぎなかったのだ。圧倒的な戦力を誇る米軍🇺🇸が日本列島🇯🇵に迫る中、正しい情報を教えられていない当時の大衆👥は、スクリーンが映し出す「過去の勝利」をみて、つかの間の喜びに浸っていたのだろう。本作品🎥が、純度の高い戦意高揚映画💣️であるのは、間違いない。というわけで、スコアは付けられません。

 だが、狂信的な軍国主義⚔️精神がほとばしる海軍省検閲の🎬️「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)に比べれば、全体としてマイルドな内容に感じた。加藤少佐👤は、部下と顔を合わせるたびに「休め、もっと休め」と声をかけ、ナイスな上司ぶりを発揮。そして、当時は敵性語だった「今がチャンス」という言葉を口にして部下たち👥に笑われたり、みんなのためにおいしいコーヒー☕を煎れてみせたり。本作品🎥は、そんな自由で開放的な加藤の人柄を存分に描いている。

 戦勝ムードに満ちた戦争初期の🎬️「ハワイ・マレー沖海戦」が軍国主義⚔️丸出しだったのに対し、敗色濃厚だった戦争後期の🎬️「加藤隼戦闘隊」がヒューマン♥️な視点を重視しているのはなぜだろうか。そして陸軍省🏯がこれを了承した意図はどこにあるのか。軍国主義⚔️の下で疲弊していた国民👥のガス抜きのためだろうか。興味深いです。
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