シゲーニョ

グラン・ブルー/オリジナル・バージョンのシゲーニョのレビュー・感想・評価

4.2
自分が幼い頃、親や年端の行った従兄弟たちから、1960年代の仏映画は「知的」かつ「ファッショナブル」と注視されていたと聞いた覚えがある。

ヌーヴェルヴァーグの洗礼を受けていない自分は、映画小僧たる者の通過儀礼として、ゴダールやトリュフォー、ロメールを名画座で追いかけてみたものの、正直、中学生の自分には小難しくてよくわからず、映画史の「必修科目・そのテキストの一部」といった印象しかなかった。

しかし、自分なりの青春を謳歌する80年代に、再びフランス映画ブームが訪れる。

ジャン=ジャック・べネックスの「ディーバ(81年)」、レオス・カラックスの「汚れた血(86年)」、そして本作「グラン・ブルー(88年)」である。

もちろん「グレート・ブルー」(=国際版)も観ているが、ここではジョアンナの「私、今の生活を捨てていいほどの恋に出会ったわ」的なN.Yの描写等が加味された「完全版(92年)」について言及させて頂きたい。

ロベール・アンリコの「冒険者たち(67年)」(=男女3人の奇妙な友情・恋愛・別離)にインスパイアされた作品と、本作は度々評論家諸氏に評されるが、個人的には、主人公ジャック・マイヨールの拭いきれない喪失感を綴った物語だと思っている。

今なお、母胎の中で独りきりで生きているかの如く、言葉や行動で意思を伝えられないジャック。

羊水ような海中だけが、他者とコミュニケーションできる場なのだ。(通じ合えたのは多分、敵友のエンゾとイルカだけと思うが・・・)

去っていった母と海で亡くなった父への思い。

そして冥界への扉とも思える深淵。

ダークな物語にも成り得たところを、エンゾのママンのスパゲティー、エンゾとロベルトの仲睦まじい兄弟の絆、「恋は盲目」状態になってバレバレの嘘をつきまくるジョアンナ、浴槽のお湯に頭を突っ込んでクラシックを聴くジャックの叔父さん等々・・・軽妙なエピソードが随所に盛り込まれ、陽光さす海の如く、本作を時折明るく照らす、青春グラフティーのように感じさせている。