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夕陽の群盗
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目次

夕陽の群盗の作品紹介

夕陽の群盗のあらすじ

1860年代、機転と本能で荒野を生き抜く不良少年のグループに焦点を合わせ、少年の友情と成長を描く西部劇。オハイオの信心深い家庭で育ったドリューは、徴兵を逃れて西へやって来た真面目な少年。ジェイクはケチな悪党で、あちこちで盗みを働きながら放浪している。こんな正反対の2人が共に旅をすることになった。数々のならず者との出会いや仲間の裏切りを通して、心身ともに成長しながら旅を続ける2人の間に、やがて友情が芽生えていく。

夕陽の群盗の監督

夕陽の群盗の出演者

原題
Bad Company
製作年
1972年
製作国
アメリカ
上映時間
93分
ジャンル
アドベンチャー・冒険西部劇

『夕陽の群盗』に投稿された感想・評価

いきなり、どうでもイイことだが…
映画のタイトルに因んだバンド名を持つ、洋楽系のグループって結構いる。

オジー・オズボーンの言うところ、バンド名「ブラック・サバス」は、リハーサルしていたスタジオの真向かいにあった映画館で上映されていたイタリアのホラー映画、マリオ・バーヴァ監督作「ブラック・サバス/恐怖!三つの顔(63年)」から取ったそうだし、英国のパンクロック・グループ、ダムドは、ルキノ・ヴィスコンティの「地獄に墜ちた勇者ども(69年)」の英題「The Damned」、グランジの先駆的存在とされるマッドハニーは、ラス・メイヤーの「欲情/マッド・ハニー(65年)」から、そのまま借用している。

まぁ、ドイツのメタルバンド、ハロウィンのメンバー、ドラムス担当のインゴがジョン・カーペンター監督作「ハロウィン(78年)」の大ファンだったり、またハードコア・ヒップホップのウータン・クラン、そのリーダーであるRZAが香港カンフー映画マニアのため、リュー・チャーフィー主演作「少林寺武者房(84年)」の英語タイトル「Shaolin and Wu Tang」をネーミングの元にしたように、その大半は、大好きな映画のタイトルをパクったものなのだろう。

そんな中の一本が、本作「夕陽の群盗(72年)」。

英国のロックバンド、フリー解散後、ボーカルのポール・ロジャースとドラムスのサイモン・カークが1973年に結成したバンド名、それが本作の原題「Bad Company」。

噂によると、バンド名の由来は、ドイツで行われた最初の公開ギグの日、地元マスコミにバンド名を問われた際、ポール・ロジャースがたまたま数日前に観た映画、つまり本作「夕陽の群盗」を思い出し、ポッとそのタイトルを口に出しただけの話らしいが、1stアルバムに収録された同名曲「Bad Company(73年)」の歌詞をよ〜く聴いてみると、バンド名に付けた理由、その意味がなんとなくだが分かってくる。

「♪〜ああ…オレは生まれながら6連発の銃を手にしている/きっと死ぬ時も銃を握っているだろう/でも最期にもがいてやる/だから周りの奴らはオレをこう呼ぶ/悪い仲間、悪い友だちだと〜♪」

勝手な思い込みだが、英国ブルース・ロックの先鞭と云われ、絶大な人気を博したフリーを心ならずも解散し、孤独に陥ったポール・ロジャースが、新バンド「バッド・カンパニー」で、人生もう一花咲かせたいと願い、その決意をこの曲の詩に託したように聴こえてきてしまうのだ…。

本作「夕陽の群盗」は、ポール・ロジャースが書いた歌詞の如く、“6連発の銃=リボルバー”を手に、夢を思い描きながら、無法の荒野を旅する若者たちを描いた西部劇である。

南北戦争真っ只中、オハイオ州のグリーンビルに在る良家に育った少年ドリュー(バリー・ブラウン)は、北軍の徴兵を拒否し、両親の手を借りて、ミズーリ州のセント・ジョセフに逃れたものの、町でジェイク(ジェフ・ブリッジス)という同世代の不良少年と出会い、金を奪われてしまう。
ジェイクは身寄りのない少年窃盗団のリーダーで、その後、二人はひょんなことから再会。取っ組み合いの末、ドリューはその鼻っ柱の強さを買われ、ジェイクに仲間に入らないかと誘われる。
かくして、ドリューは窃盗団の一員として西を目指して旅立つことに…というストーリー。

北軍からの徴兵を逃れた少年が、“Bad Company=悪い仲間”と西部の荒野を彷徨い、逞しく成長して、“立派な”アウトローになっていく様は、本作公開当時、「ベトナム戦争の徴兵を拒否した若者たちのメタファーである」と多くの映画評論家が論じていたらしいし、70年代アメリカン・ニューシネマの波に乗った人間ドラマとも云えよう。

1960年代後半から起きたアメリカン・ニューシネマの波は、様々なジャンルを包み込み、ひとときの御伽噺だった映画に辛辣なリアリティをもたらした。

もちろんハリウッド産西部劇もそれに漏れることなく、ピンチに騎兵隊が駆けつける活劇や男たちのスピリットを謳い上げるといった、ジョン・ウェイン主演作のようなエンタメ志向の作品は影を潜め、代わりに“西部の真実”を皮膚感覚で捉えた作品が増えていった。

赤狩りでハリウッドを追われていたエイブラハム・ポロンスキーが、21年ぶりにメガホンを取った「夕陽に向かって走れ(69年)」、70年代の青春映画スター、ロビー・ベンソンのデビュー作「ジョリー・西部の試練(71年)」、後に「さらば愛しき女よ(75年)」を撮るディック・リチャーズの処女作「男の出発〈たびだち〉(72年)」、ハリウッドのベテラン、リチャード・フライシャーが“大人”の立場からニューシネマを描いた青春残酷ウェスタン「スパイクス・ギャング(74年)」…etc。

こういった“新・西部”を若者たちの目線で描いた作品群、“青春ウェスタン”とでも呼ぶべきそれらの中で、(あくまでも個人的にだが…)代表格と云えるのが、本作「夕陽の群盗」である。

繰り返しになるが、本作が製作された時期は、アメリカがベトナム戦争の泥沼に陥っていた頃。
たしかに映画ライターたちが評したように、劇中で悲劇に見舞われる少年たちは、ちょうどベトナム戦争に徴兵され死んでいった若者たちの姿に重なる。

本作は、馬車でやってきた北軍の兵士が各家庭から、子供たちを兵隊にするべく連れ去るシーンから始まるのだが、まさにベトナム戦争末期・反戦運動真っ盛りの70年代初頭と云う時代を反映している。

北軍は不足した兵士を補給するために徴兵隊を使って、16歳以上の男子を片っ端から狩り出し、檻に入れて戦場へと送っていたのだ。

親も連れ去られるのを拒むため、息子に女の子のドレスを着せるなどして懸命に隠そうとするのだが、それを見つけてしょっぴく兵隊の声、「軍隊で男にしてやるぜ!ガハハハ!」が悲しみに暮れた家の中をこだまする。

大人が勝手に決めたルール=戦争によって、自分の未来を奪われる子供たち。
実際にベトナム行きから逃れるためにカナダへと移住した若者も多かったらしく、彼らは「Draft dodger」と呼ばれていた。

ドリューの母(ジーン・アリソン)は「長男が招集され戦死したので、犠牲は果たした」と拒むが、北軍の軍曹は「健康な男子を全員招集することが、自分の仕事だから!!」と毅然と言い返す。

そこで、たった一人だけ残された次男まで兵隊に取られてはたまらないと、ドリューの父(ネッド・ワーティマー)は現金100ドルと長男の遺品である金の懐中時計、そして家族写真をドリューに手渡し、西へ逃がすことにする。

だが、本作で描かれる西=西海岸は、米墨戦争でアメリカがメキシコから奪ったばかりで、法律もない、社会もちゃんと形成されていない未開拓の土地。
お坊ちゃんのドリューは「西部に逃げ込めば、捕まらないで済む。銀でも掘り当てて故郷に錦を飾ろう!」などと甘い夢を見ている。

(因みに、父親から逃亡先にと教えられたバージニア・シティは、当時、アメリカ合衆国から脱退していたバージニア州に在り、兵役から逃れることは出来たが、本作の時代背景=1863年には銀鉱脈が見つかったばかりで、一攫千金を夢見る荒くれ者たちが多く集まっていた場所でもある…)

世間知らずの甘ちゃんぶりでは、ジェイクの仲間たちも負けてはいない。

農家の厳しい仕事から逃げたロニー(ジョン・サヴェージ)と兵役逃れのジム・ボブ(デイモン・コファー)のローガン兄弟、臆病者のアーサー・シムズ(ジェリー・ハウザー)、そしてまだ10歳で生意気盛りのブーグ(ジョシュア・ヒル・ルイス)。

いっぱしの無法者を気取っている彼らだが、しかし親切な女性を騙して財布をすったり、小さな子供たちから小遣い(わずか85セント!)をカツアゲしたりと、やっていることはなんともチンケ。

「Bad Company」とは名ばかりで、暇さえあればイタズラばかりで、まだまだ半人前のお子様集団である。

仲間へのイタズラで、生きたバカでかいカエルを、襟の後ろからそーっと背中に入れたり、ズボンの隙間から股間に入れたりするだけで、大はしゃぎ。

また、敬虔なキリスト教メソジスト派の家で育ったドリューは、ジェイクに誘われた際、「ボクは不誠実なことはしません。泥棒や強盗といった一切の犯罪には加担しません」と神様に誓い、仲間に入れるかどうか査定されるテストで、「金物屋で強盗した!」と嘘をついて、ブーツの底に隠した親からもらったお金の一部をジェイクたちに供出し、いっぱしのワルとして認められる…(笑)。

じゃあ、リーダーのジェイクはと云うと…

たいした度胸は無くとも悪知恵だけは働く。
失敗すれば「神は気まぐれ」、偶然、幸運に出会えば「大地の恵み」が口癖。

劇中、中盤を過ぎたあたり、見張り当番のジェイクが居眠りをしていたため、ドリューたちが野盗に遭うシーンがある。
リーダーの面目丸潰れのジェイクはその威信を回復するために、拳銃を抜いて野盗団のボス、ビッグ・ジョー(デヴィッド・ハドルストン)を狙うのだが、ジェイクは一度も人を撃ったことがないのだろう。だからビビって引き金をなかなか引けない。

そこで、銃口を向けられたビッグ・ジョーは、「おい!坊主!ちょっとアドバイスさせてもらう…。他人に銃を向けたら1秒以内に撃て。ほとんどのヤツはオレほど忍耐強くないぞ!」と言うや否や、一瞬の早撃ちでジェイクの拳銃を撃ち落としてしまう。

有り金全部とコーヒー豆、干し肉と糖蜜を奪われるジェイクたち。
そして、ビッグ・ジョーは「通りすがりの悪夢だと思え」と去り際に言い残すのだ。

この後、飲まず食わずの日々を過ごし、飢えきったジェイクたちは、荒野にポツンと立つ一軒家で飼われたニワトリを盗もうとするのだが、ベランダに置かれたパイを盗もうとしたブーグに突然、思いもよらない悲劇が訪れる…。

さらに「なぁ、ジェイク…。お前について来たらヒドいことなっちまった。もう、お前の偉そうな態度にはウンザリだ!」と反旗を翻し、グループを去ったロニーとジム・ボブの兄弟も、再び野盗団に襲われて縛り首の処刑にあう…。

そう、世間知らずの子供たちが、誰の庇護も受けずに生きていけるほど、当時の西部は生やさしい世界では無かった。

そんな世間の厳しさを直視するシビアな態度・作劇法もまたアメリカン・ニューシネマ的と云えるだろう。

そして、少年たちが夢を求め西部に向かって旅をするうちに、強盗など悪の道に染まっていく展開は、アメリカン・ニューシネマの嚆矢「俺たちに明日はない(67年)」の少年版のようにも思える。

本作「夕陽の群盗」は、「俺たちに明日はない」の脚本家コンビ、ロバート・ベントンとデヴィッド・ニューマンが脚本を手掛け、ベントン自らが初めて演出も兼任した西部劇だ。

「俺たちに明日はない」は、1930年代の大恐慌時代にアメリカの中西部を荒らしまわった実在の銀行ギャング、ボニーとクライドを血みどろの暴力で描き、それまでの品行方正なハリウッド映画の伝統を破壊して、“アメリカン・ニューシネマ”という革命を起こした作品と云われている。

本作は「俺たちに明日はない」と同じく、明確なストーリーらしきものが見当たらない。
即興演出や連動性のないエピソードで形作られたヌーベルヴァーグのように、小さな“スケッチ”の寄せ集めだ。

バージニアで銀を掘ろうと夢見るドリューを除いて、ジェイクたちは皆「西のどこへ行けばいいのか?」「西に辿り着いて何をすればいいのか?」など深く考えず、行き当たりばったりなのだから、それに準じた構成と云えるだろう。

まぁ、そもそも「俺たちに明日はない」は、ヌーベルヴァーグの代表作「勝手にしやがれ(59年)」に感化されて作られた映画だ。

映画業界に入る前のロバート・ベントンとデビッド・ニューマンは、雑誌「Esquire」の編集者で、1964年に刊行された同誌の特集「New Sentimentality(新世代の気分)」に、「オレたちが映画館で観たい恋人同士は、古臭いスペンサー・トレイシーやキャサリン・ヘップバーンじゃなく、『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグなんだ!」という記事を書くほどの外国映画ファン。

「『勝手にしやがれ』のようなアナーキーな映画を、アメリカでも作ってみたい!」。
そんなことを考え始めたベントンとニューマンは、刊行されたばかりのジョン・トーランドの著書「The Dilinger Days(67年)」を読んで、絶好の素材を見つける。

それが1930年代のアメリカ中西部にその名を轟かせた銀行強盗団バロウ・ギャング。
テキサスの田舎町セイルズで、177発の銃弾を浴びて死んだボニー&クライドは、同じテキサス生まれのベントンにとって英雄だったのである。

「二人はボクの育ったテキサスの英雄だ。子供はハロウィンになると、みんなボニーとクライドの扮装をするんだぞ!」

しかも、完成した脚本を、ハリウッドに全くコネのないベントンとニューマンは、いきなりパリにいるフランソワ・トリュフォーに送りつけている(!!)。
(注:これは当初「勝手にしやがれ」を目指して書き始めた脚本が、その最中に観たトリュフォーの「突然炎のごとく(61年)」の影響で、キャラ設定が似てきてしまったため…笑)


さて、本作「夕陽の群盗」は随所に死の臭いと寂寥感が立ちこめながらも、ユーモアと優しさを湛えた“青春ジュブナイル映画”に仕上がっていると、個人的に思う。

おそらく、自分の本作初鑑賞が、主人公のドリューと同じ年頃の15、6歳だったことも要因の一つだろう。

本作が日本で初公開されたのは1973年2月。
大都市での1本立て=ロードショー公開されたワケではなく、いきなり二番館の2本立てとして、あまり注目されずにひっそりと世に送り出された。

同時上映はダグ・マクルーア主演の「空中大脱走(71年)」。
第二次大戦下、アルプス山中にある断崖絶壁に囲まれた城から、連合軍の捕虜たちがグライダーを使って、決死の脱出を企てるという戦争アクション。

当時の新聞広告には「豪快!天と地を揺るがす2大アクション!」というキャッチコピー、本作には「荒野に命のかぎりを燃やす鮮烈のロマン・アクション」という惹句が並んでいる。

ホントはアクション描写などホドホドの、瑞々しくも切ない、西部開拓時代の少年たちを描いた物語なのに…。

そんなわけで、自分の住む田舎町の映画館では当然未公開。仮に観ていたとしても、当時9歳くらいの自分は「誇大広告じゃん!銃撃戦とか思ったほどないじゃん!」とガッカリして、肩を落としながら劇場を後にしただろう。

めでたく初鑑賞と相成ったのはその6年後、自分が15歳の時、本作のTV初放送、日テレ系の深夜映画だった。
眠い目を擦りながらも観ようと思った理由は単純で、当時、バッド・カンパニーのシングル曲「Rock 'N' Roll Fantasy(79年)」にめちゃハマっていて、バンド名の由来となった映画が気になったから。

話がだいぶ横道に逸れたような気がするが…(汗)
本作を“青春ジュブナイル映画”と思う、ちゃんとした理由はいくつかある。

一つは朴訥とした美しい構図の数々。

映画の舞台となる、アメリカ中西部の秋から冬にかけての森や荒れ地の寒々とした風景。
その風景を、期待や憧れを胸に進んでいく、無知で無能な若さだけが取り柄の少年たち。
そんな地平線のみで何もない荒野を旅する少年たちを捉えたロング・ショットは、息を呑むほど美しい。

撮影を担当したのは、本作の直後に参加した「ゴッドファーザー(72年)」でオスカーを獲るゴードン・ウィリス。
ウィリスは「広大な土地、荒れた原野の真っ只中に立つ少年の孤独を、絵画的にシンプルに描いた」と述べている。

二つ目は音楽。

本作には、全篇、ラグタイムっぽい、ピアノ音楽が流れる。
無法と化した荒野を、あどけなく旅する少年たちの“珍道中”にピッタリな曲調なのだ。

その劇伴を担当したのは、テキサス生まれのミュージカル作曲家として知られるハーヴィー・シュミット。
映画用に曲を書き下ろしたのは本作のみで、代表作は、1960年にオフ・ブロードウェイで初演の幕が上がって以来 50年以上に渡って、世界各国で上演されている世界最長上演記録をもつミュージカル「ファンタスティックス」。

このミュージカルを知らなくても、劇中で歌われた「Try to Remember」を一度くらい耳にした方は結構いると思う。

「Try to Remember」はブラザーズ・フォア、アンディ・ウィリアム、ジュリー・アンドリュースなど多くのアーティストにカバーされた名曲で、邦題は「思い出の9月」。

曲調は、民謡というか、どこかフォークソングっぽい感じで、聴いていて甘酸っぱい青春の香りみたいなものがする。

勝手な推察だが、ロバート・ベントンは脚本執筆中、この「Try to Remember」を本作の音楽、そのイメージの源泉とし、ハーヴィー・シュミットにオファーしたのだと思われる。

「Try to Remember」の歌詞、「♪〜思い出してごらん、9月の優しさを/人生はゆっくりと進み/まろやかで甘いものだった/思い出してごらん、9月の頃を/君はまだ初々しい若者だった〜♪」で分かるように、この曲は冬の険しく辛い時期に、その数カ月前の初秋の頃、穏やかでまだ汚れなど一切知らない、純朴だった自分の過去を懐かしむ歌。

そう、まるで、1863年の9月末に西部へと夢見て旅立ち、その2カ月後、荒野の無法者になってしまった、本作「夕陽の群盗」の主人公ドリューの気持ちを、あたかも歌っているような曲なのである…。


そして、“青春ジュブナイル映画”と思った、もう一つの理由が、二人の少年の紡ぐ友情ドラマが、本作の物語の軸にあるからだ。

おぼっちゃま君のドリューと、天涯孤独でストリート育ちのジェイクは、出自も性格もまるで正反対で、出会いも“強盗と被害者”と云う最悪なモノだったが、その後は誰よりも意気投合する。

教養があって聡明だがナイーブで世事に疎いドリューと、教養がなくて愚かだが世渡り上手でズル賢いジェイクの、お互いの欠点を補い合うようにして育まれていく友情は、観ていてホント微笑ましい。

監督ロバート・ベントンは、反目しながらも惹かれあっていくジェイクとドリューが、次々と直面していく痛々しい現実を、実に淡々と切り取っていく…。

そして、他の少年たちが次々と離反し、無残な死を遂げていっても、二人はしぶとく生き残る。

自分の生き方を決定づける“マブダチ”との出会いなど、いつどんな状況で訪れるのか誰にも分からない。

友情が芽生える理由、きっかけとなる出来事は仮に説明出来たとしても、実際の心情など説明がつかないものだと個人的ながら思えてしまうのだ。

本作「夕陽の群盗」は、そんな出会いを見事に切り取った作品なのである…(涙)。


最後にネタバレで恐縮だが…

本作「夕陽の群盗」の終盤、ドリューとジェイク、二人の心は過酷な旅の中で疲弊し、ささくれ立ち、遂には互いに殺し合うところまで追い込まれる。

しかし、なぜか、最後は元の鞘に収まってしまうのだ。

歪んだ友情と言ってしまえばそれ迄だが、この顛末を初見時、うまく自分は消化できなかったことをハッキリと覚えている。

しかし30数年ぶり、DVDでようやく2度目の鑑賞をした時、物語の序盤でそのヒントが語られていたことに、遅まきながら気づいた。

西部への旅に出た最初の夜、焚き火をしながら、ドリューが小説を朗読するシーンがある。

「2階のどこか奥の方から叫び声が聞こえた。女の人の声だった。一体どんな生き物がこんな哀れな悲鳴を招いたというのか。私は怖くなり、子供のいる応接間(Drawing Room)に向かった」

ここで、ジム・ボブが「Drawing Roomなんて聞いたことないぞ?」とチャチャを入れ、それに対し、ブーグが「王様をもてなす部屋だよ」と答える。

まぁ、ぶっちゃけ、窃盗団の仲間たちの無学ぶりをひけらかすシーンなのだが、なぜか、ジェイクはドリューに、早く続きを読めと催促する。

「ロチェスター氏の姿はそこになかった。怖がりながら子供と一緒に彼を捜したが、書斎にも廊下にもいない。私は迷った。このまま子供と一緒にいるべきか…」

ヴィクトリア朝文学に詳しい方なら「ロチェスター」と云う名前でピン!と来たと思うが、ドリューが朗読していたのは、19世紀の英国を代表する女流作家シャーロット・ブロンテの半自伝的小説「ジェーン・エア(1847年)」。

「ジェーン・エア」は、孤児ゆえに差別され続け、怒りと悲しみの中で育った主人公ジェーンが、資産家ロチェスターの娘の家庭教師として雇われ、やがてジェーンとロチェスターは身分違い(階級違い)の恋に落ち、結婚するというおハナシ。

だからといって、ドリューとジェイクが同性愛者だったと云うわけではない。

小説「ジェーン・エア」の肝は、ジェーンが人間としての尊厳を捨てることなく、階級違いのロチェスターと、あくまで“対等の関係”を結ぼうとするところにある。

つまり、ジェイクにとってのドリューは“裕福な金持ちのボンボン”。
ドリューにとってのジェイクは“常に上から目線の偉そうなヤツ”。
ドリュー、ジェイクいずれも、主人公ジェーンを自分に置き換え、対等か、ちょっと自分が上になる関係を築こうと躍起になっていたワケだ。

だから終盤のクライマックス、二人で銀行に押し入り強盗しようとする時、ジェイクは「ジェーンは最後、どうなった?」とドリューに尋ねる。

しかし、ドリューは「素晴らしい結末だったよ」としか答えない。

そして銀行に乗り込んで、銃を構え、銀行員と客に向かって「Stick’em Up(騒ぐな!)と先に脅し文句を言ったのは、ドリューだった。

最初は世間知らずの甘ちゃんだったドリューが、愚かな大人たちの作り上げた弱肉強食の醜い社会=荒野を旅しながら、数々の蛮行を目にして、生き抜く術を学び、ジェイクと対等、否、それ以上の本物のアウトローになった瞬間である…。
犬

犬の感想・評価

3.6
絞首刑

南北戦争で荒廃したオハイオ州から中西部へ徴兵を脱して旅する青年の姿を描くウエスタン

ウソつき

アドベンチャー
なかなか話の内容が興味深かった

大自然
雰囲気良かったです

若者たちがそれぞれ印象

銃撃戦もあり

ジェフ・ブリッジスが若いです
果たしてどっちが幸せなのだろうかの巻

青春西部劇
徴兵逃れて西部へ向かう間のお話
苦難の連続、生きることの難しさを目の当たりにして生き残るために裕福だった青年がアウトローの道に迷い込む、混沌とした時代の産物でしょうか
こうなるとアメリカンニューシネマのにおいも漂ってきますが詰めはヌルめで、寧ろラストのその先を見届けたいのですが

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