みや

ウェンディ&ルーシーのみやのレビュー・感想・評価

ウェンディ&ルーシー(2008年製作の映画)
4.0
「ここの坂は険しい。新しい段ボールほどよく滑る。」
闇の中で、男がウェンディに囁く言葉は、まるで彼女自身の境遇を言い当てているかのようだ。
「ここが嫌いだ。ここの奴らが。」「俺はのけ者。礼儀よくしたいが、奴らがそうさせない。」「俺をゴミ扱いで、何の権利も認めない。」
だんだん熱を帯びていく彼の独り言を聞きながら、ウェンディが恐怖を抱いたのは、彼による加害の可能性以上に、自らの行く末の底知れなさだったのではないか。
「ここ」というのは、ウェンディが留まる羽目になった、製粉工場が閉鎖された不景気な田舎町。けれど、もちろんアメリカそのものでもある。
日本でも、音を立てて格差や分断が広がっているが、一歩先行くのがアメリカ。過日鑑賞した、「ニューヨーク・オールド・アパートメント 」でも描かれていたが、富める者は、貧しき者を見下すことに疑問を抱かない。そもそも自己責任論は、持って生まれた境遇の幸運さの違いを、その本人の努力の差にすり替える、クソみたいなおめでた思考に過ぎないのだが、なぜか人々は、すんなりそれを受け入れて過ごしている。
この映画でも、抗う姿として描かれるのは、闇に紛れてでしか、日頃の不満をぶち撒けられないこの男だけ。
そこからどうしようもない絶望感と無力感が漂ってくる。
ウェンディに優しく接する守衛の男に観る側としては救いを感じるが、個人の優しさや思いやりでは根本的な解決は得られない。そのことを、彼が差し入れる少額紙幣できっちり描き出す演出の見事さ。そして、彼女が拠り所として、依存してきた車とルーシーを手放すことで、逆に新たな世界への希望の旅立ちを感じさせる、貨物列車のラストシーンが良かった。

<ここからは、蛇足>
「アラスカへ」ということは、北へ向かっているんだなぁと…。
「北へ」と言えば小林旭。昔、職場の先輩がカラオケで毎回歌っていたっけ。
日本もアメリカも、夢破れ、人生につまずくと北へ向かうのは共通してるんだなぁと、妙に納得した次第。
みや

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