Oto

イディオッツのOtoのレビュー・感想・評価

イディオッツ(1998年製作の映画)
3.8
知的障がい者のふりをして人々の偽善を暴こうとする集団を映したモキュメンタリー作品。
すごく露悪的で不謹慎な作品で、チンポムの展示に行ったときと似た心のざわつきを覚えたけれど、同時にとても考えさせられた。

はじめは「あえて愚かでいようとしている人々」(アートコレクティブ)の話だと思ってみていたけど、実は「愚かでいないと生きていけない人々」(自助グループ)の話なんだなということがわかっていった。
『BLUE GIANT』形式で解散後のインタビューが同時に描かれるので、持続的な活動体でないことは承知しながら観ていたけど、それでも想定外の結末だったし、「やっぱりその人が主人公なんだ?」みたいな驚きもある。

アーティストは「アートでしか生きられない人」である場合が多いなと自分の統計上で感じているけれど、「それしかない」のは武器でもあると思う。
(彼らが演じているほど重度でないにしても)障がいやトラウマを抱えているということや、職場や家族の場では暮らしていけないということは、きっと社会の責任であって、その試練に挑もうとする唯一の手段であり居場所がアートだったのだと思う。だからカレンが家庭において「愚かでいること」が許されないという結末もすごく考えさせられた。

社会で生きるということは、他者を意識してちゃんとしようとすることで、「野生」から離れるということなのかもしれない。そんな厳しい環境において、衝動や本能に従って生きるということの重要性を、「黄金の心」3部作はどれも一貫して描いていたと思う。
特に今作は「ドグマ95」の功績もあって、ふだん自分がいかに当たり前に、嘘や作り物を受け入れているかということを実感させられた。「反知性主義」的なテーマがあると思うけれど、「自分をよく見せたい」という意識はどんどん自分を創作から遠ざけていく気がしたし、それが自分自身の映画に納得できなかった理由でもあるのかもしれない。

引っ越してこようとした夫婦のリアクションは自分の排他性とか偏見をすごく炙り出されるシーンだったし、女性シャワールームでのシーンとかも今世の自分には絶対に撮れないシーンだなと思った。入れ墨のシーンも見ているだけでヒヤヒヤする。
というかこの作品自体が、もし令和に新作として発表されたらかなり物議を醸すものだと思うけれど、一方で世界をざわつかせる作品というのはそれぐらいのインパクトを持っているんだろうなとも思う。

その意味でもストファーはこの作品のシンボルだったなぁと思っていて、健常者を嫌う一方で障がい者も見下しているという「理解できなさ」も、みんなでセックスしようとか言い出してそれを実現させてしまうような「求心力」も、自ら敵を見つけてファシストが!と叫んで大暴れするような「攻撃性」も、自分にはないものをたくさん持ち合わせていた。
それは普段自分が毛嫌いしてるものでもあるんだけど、そんなわがままさや無謀さが社会を動かすこともあって、無視せずに向き合っていかないといけないと思わせる強度がある作品だった。
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