むっしゅたいやき

雲から抵抗へのむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

雲から抵抗へ(1979年製作の映画)
4.3
神の人形から自我を持ち、死を運命付けられた人へ。
併せ、神による搾取。
ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ。
原作はイタリア、ネオレアリズムの作家チェーザレ・パヴェーゼによる二作、『レウコとの対話』、『月とかがり火』より。
本作は「神話の世界の住人による対話」と、「第二次大戦後のイタリアでの活劇」の二部構成から成り、この二部間に時代的・人物的、又は事物的な連続性は無い。
鑑賞法としては第一部からエッセンスを汲み取り、それを更に蒸留・抽出した思弁を第二部に当て嵌める、と言った形式となろう。
この夫妻は原作を持つ作品を撮影する際、同様に『原作の台詞を一言一句削らず作中に投入するが、その背景や出来事、そして人物像や人物相関は完全に省略する』と言った離れ技をしてみせるが、本作はそれを鑑賞者にも擬似的に行わせるものである。
…とても面倒くさい。

第一部はギリシャ神話の登場人物達が、死や老い、妬み嫉みから逃れられない人間の運命に就いて対話を繰り返す。
レビューの下書き段階では此処に一々各人の略歴を記載したのだが、長くなり過ぎるので削除省略した。
…だって、面倒っちいんだもん。
各々人の運命の不可知性と、神の徒らな関与に因る死、或いは不条理に就いての対話である。
尚、この中ではヘラクレスも神として捉えている。

第二部に関しては、イタリアの小さな村を舞台とし、レジスタンスとドイツ軍との間で揺れ動いた村人とその暮らし振りを描く。
そして戦後20年経った作中でも大地主(第一部で言うところの神)による搾取構造は戦中と変わっておらず、またその徒らな関与に因る小作人の不幸(ここでは一家の無理心中)も、神と人との関係と同じではないか、と嘆くのである。

本作はドッペル・ロマーンをひとつに纏めた作品であるのだが、一、二部間でコンテンツが付け加えられている。
それがサンティーナに纏わる逸話であり、此処で我々は初めて友人ヌートの告白を聴く事となる。
それは「運命や死に抗った」と言った大袈裟なもので無く、もっとささやかな-、淡い恋心とその悲劇的な終焉に就いての述懐である。

ストローブ=ユイレは例によってコレをこうしよう、と言った提案はしない。
彼等はただ、『この問題をどう思う?』と戯曲化し我々へ提示するだけである。
然しその指摘は鋭く深く、我々の惰性と怠慢を穿つ。
本作に於ける搾取に就いても、伊国の搾取されている小作人ですら、現状に諦観を抱き、抵抗に就いて考えを巡らす事無く受け入れ暮らしている。
翻って本邦を見る際、同様の事は無いか。
他山の石とすべき問題である。
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