KengoTerazono

欲望という名の電車のKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

欲望という名の電車(1951年製作の映画)
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きつい。

朝からこんな救いようのない話を見せつけられてしまった。

落ちぶれた南部の貴族とスタートからして落ちこぼれているポーランド系移民の、互いが互いのコンプレックスを刺激しまくり、結局は男の支配(排除という名の支配)から逃れられない。女性は下層では特に、父の法のもとで生きていくしかない。それがどんなに過酷なものでも。自分の尊厳を守るために今度こそ言いなりになるものかと思っても、明日の暮らしには変えられない。反吐が出る現実をこれでもかと演劇として見せつけられると、メロドラマは現実を語るための力強い手法なのだと思えてくる。

格子状の影が顔面に映し出されるのが印象的。逆光から出てくる若い男の顔は、ヴィヴィアン・リーの浮気心に説得力がでる。

ドアのない部屋の使い方や、おんぼろアパートの階段の使い方はまさに芝居のための空間という感じ。カーテンでしか仕切られていない、そこを隔てて男の世界と女の世界がある。思ったより簡単に行き来できてしまうが、男が女の世界に入る時、それは侵略そのものだ。ミッチだけが柔らかな態度を示していたが、所詮上っ面だけだった。

娯楽としての劇映画に娯楽のように簡単に、そして綺麗にはいかない現実を入れ込んだ発端のうちの1人、エリア・カザンの厳しさを思い知った。
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