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王と鳥のKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

王と鳥(1980年製作の映画)
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りんたろうの『メトロポリス』はこの映画のお城をCGIで作ることで、一点透視図法の特権性を権力と結びつけたわけだが、『王と鳥』に関してはその特権性を一貫させることで、アニメーションからの離脱をアニメーションとしてやっている気がする。
ローポジション・アイアングルで後景から前景へと王が前進・後退するショットや、鳥のあまりにも滑らかな動き、落下と上昇、広角ではなくパースペクティブを強調した廊下は、アニメーションでありながら、アニメーションであることを忘れさせる。ただその特権的な身振りは、説話の啓蒙主義的な押し付けがましさと相互に影響しあっていると思われる。

絵の中の人間が絵から飛び出して動き出すというアニミズムはメタ的だし、平面から立体へのキャラクターの移行がアニメーションという平面空間で起こったとき、この映画の一点透視図法的・デカルト的な空間が生きてくる。王の肖像画を描く画家が、世界初のアニメーションである『愉快な百面相』のチョークトーク的なマジックと重なった。

本物が偽物に負け、それに周りは気づかず、最後まで触れられないままだったところや、床が抜けて落下するときのサスペンスとサプライズは素晴らしい。家来が床から落下することで、無慈悲かつ残酷に処される様や下層市民が巨大ロボットにつままれ投げ飛ばされる様は、血は一滴もでないがその暴力性のインパクトは絶大である。権力が立場の弱いものに対して一方的に働く時、それはどのようなやり方でなされるのか、そこにどのような残虐さがあるのか、戯画化されていながらしっかりとそこに向き合った痕跡がある。
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