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ウェルカム・トゥ・サラエボのtakのレビュー・感想・評価

3.5
ボスニア・ヘルチェゴビナの紛争については日本にいると知らないことが多い。この映画は予備知識がないとチと辛いと思うので、少しばかり解説しよう。いくつもの宗教と人種が入り乱れる旧ユーゴスラビア連邦が分裂を始め、92年にボスニア・ヘルチェゴビナが独立を宣言した。ところが連邦離脱に反対するセルビア人たちが、独立を支持するイスラム教徒との間で戦闘を始めた。戦いはセルビア人側が優勢で、彼らはセルビア人をもっと増やして地域を支配しようと考えた。セルビア人たちは、イスラム教徒の男を殺し、女性に自分たちの種を仕込んだ。堕胎が禁じられているイスラム教徒の女性は当然にセルビア人の血が流れた子供を産む・・・という訳だ。これを”民族浄化”と呼ぶのだから恐ろしい。これにNATOが介入して空爆、多くの一般市民を巻き添えにしながらも95年に停戦にこぎつけた。・・・これがボスニア・ヘルチェゴビナの紛争だ。

 「ウェルカム・トゥ・サラエボ」は、イギリス人ジャーナリストが主人公。彼が取材に来たサラエボでは、上記のような”民族浄化”が起こっていただけに、戦争の落とし子たちが孤児となっていた。孤児院を取材して子供たちを救うことを世界に訴えようとする主人公。ところがニュース性がない、とプロデューサーら本国の意向がそれを阻むこととなる。主人公は国連の救援隊と共に子供たちを国外に退去させようとし、さらに一人の少女をイギリスへ連れ帰ろうとするのだ。国外に連れ出すバスの車中にセルビア兵が踏み込む場面、兵士はセルビア人の子供と赤ちゃんを連れ去る。トラックの荷台で赤ちゃんを抱き上げて嬉しそうな声をあげる兵士。彼らにとってその赤ちゃんは支配の為のコマのひとつ。それ故に赤ちゃんは国内に残され危険にさらされることになる。同じひとつの命なのに。

 ボスニア・ヘルチェゴビナの惨状を世界に伝えるためにジャーナリストたちは危険と隣り合わせでカメラを回し続ける。その気持ちはよくわかるのだけど、ちぎれかかった足やら血まみれの死体やら、あれだけ生々しいニュースフィルムを見せつけられるとやはりショックだ。平和を心から望まずにはいられない。虚構である銀幕の中で、現実の映像を見せられるのはある意味感動を呼ぶ。けれど映画として別な表現で反戦の意を伝えることはできるはずなんだよね。「シンドラーのリスト」や「タイタニック」みたいに現実を劇映画に織り込むのはズルいと言う人もいる。スクリーンの外側の事実で観客を泣かせているからだ。映画の作り手ならば感動を現実世界に頼ってはいかんとも言われる。しかしマイケル・ウィンターボトム監督は敢えてその道を選んだとも僕には思える。ジャーナリズムでも伝えきれないあの国の悲劇、現実から目を背けるなと訴えているのだ。僕がこの映画で強く印象に残ったのは、「サラエボは世界で14番目の地獄。これが世界一の地獄になったら、オレはコンサートをするよ。」と言っていた男が丘の上で一人チェロを弾くラストシーン。無言で戦争の悲劇を訴えるこの場面。そこに込められた思いはとても、とても強い。
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