茶一郎

青春群像の茶一郎のレビュー・感想・評価

青春群像(1953年製作の映画)
4.4
 最高に愛おしい一本。スタンリー・キューブリック監督の人生ベスト、ビリー・ワイルダー監督の最も大好きなフェリーニ映画という歴代の巨匠たちの評価を差っ引いても、とにかく愛おしく素敵な作品です。

 舞台となるのはフェリーニの故郷であるリミニ。原題『乳離れしない小牛たち』の通り、登場人物はアラサーになっても定職に就かずにブラブラと毎日を過ごす、大人になりきれない五人の青年たちであります。
 女中にうつつを抜かす自称劇作家のレオパルド、姉から小遣いをせびるヒモ男のアルベルト……そして彼らと過ごす日々にどこか居心地の悪さを感じているモラルド、皆が一様に、行動意識を持たず青春を浪費する若者たち。フェリーニ監督は、この若者たちに第二の故郷ローマに到着してからイタリア・ネオリアリズモの脚本家として芽が出るまで、その日暮らしの生活をしていた自分を反映させたような、そんな監督の愛と実在感を感じさせる見事なキャラクターたちでした。

 青春と夢と彼らの日常、まるでフェリーニ版『アメリカン・グラフィティ』、フェリーニ版『マスター・オブ・ゼロ』と言わんばかりに、のらくらとする毎日。フェリーニと同じくイタリアの巨匠であるルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』のネオリアリズモ的な切り口とは全く別の、陽気で穏やかで、でもどこか切なく厳しい空気感が全編を包みます。
 何より、まだ成熟していないフェリーニの語り口からか、物語さえも登場人物と同じく一本の軸なしに「ブラブラ」と進み、この「のらくら」な若者と物語は走る汽車で終わりを告げました。
 「青春は人生における可能性が閉じる過程」と誰かが言いましたが、この『青春群像』も、『若者のすべて』、『アメリカン・グラフィティ』、『アメリカン・スリープ・オーバー』、数々の青春映画に沿い、登場人物の夢と可能性が閉じる瞬間を描き終わります。

 「浮気」、「結婚」、「娼婦」とフェリーニ作品には決まったモチーフが反復しますが、その中でも「人生と祝祭」は監督作品の根幹となるものです。そして若者の青春を生々しく映した今作は、「青春」を人生の一瞬の祝祭として切り取った作品なのだと思いました。
茶一郎

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