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寵姫ズムルン
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『寵姫ズムルン』に投稿された感想・評価

さっ

さっの感想・評価

4.5
画面構成とモンタージュのセンスが本当に見事。イスラーム世界(9世紀のバグダッドらしい)の完成度の高さも。女性解放のメッセージの進歩性は原作由来? 旅芸人一座が町(どこでロケしたんだろう)に来たシーンで、はしゃぐ路上の人々と窓から顔を出す住人たちとの交互のモンタージュ(締めは犬)や、オーソドックスな並行モンタージュを用いずロングショットだけで構成した追っかけシーン。上昇志向の踊り子ポーラ・ネグリの美しさ(テントで踊るシーンのスカートの花)、彼女への一途な恋心によって族長にさえ噛み付く醜い道化のせむし男の人物造型(同僚の婆さんが彼の目を覚まさせるやり方が笑える)。同じく搾取されながら、助け合って生きるハーレムの女たちの姿が泣ける。痴情のもつれがただちに激しい肉体的ぶつかり合いとして表れるのも良い。最小限のインタータイトル
河

河の感想・評価

3.6
ハーレムや召使い、宦官を抱える族長とその息子がおり、ハーレムの中で特にその貴族に気に入られているのがタイトルであるズムルン。ズムルンは旅商人に恋をしている。それに加えて旅芸人達がおり、その主役であるダンサーが奴隷商人を仲介にハーレムに加えられるようになる。その芸人達の1人である演奏家はダンサーに恋をしていて、さらにその演奏家に浮浪者のような老婆が恋をしている。

旅商人とその従者、旅芸人たち、そして族長の宮廷という3つが舞台になる。ズムルンと商人の恋が見つかり殺されそうになるも、ハーレムの女性たちの策によって助けられ、さらにその女性たちが族長や宦官を出し抜くことで商人と合流するという話、ダンサーが族長の息子と族長両方から声をかけられ宮廷に招かれていく話、ダンサーが離れて行った悲しみから死んだような眠りにつく薬を飲んだ演奏家の話という3つの話が同時に語られる。その3つは都度絡みつつも、ダンサー、商人の荷物の移動により宮廷に集合することでクライマックスを迎える。

宮廷に全員が集結し宦官が酔いつぶされ室内に閉じ込められることによって、クライマックスは族長の寝室と庭の2つに舞台が絞られる。庭では族長のお気に入りのズムルンは商人に向かい、寝室ではその代わりのように手に入れたダンサーはその息子に向かう。寝室に演奏家が侵入することで、死んだと思っていた演奏家が宮廷に現れたことにダンサーは驚き、族長を起こしてしまう。女性を独占しようとした族長はクライマックスで結局誰も手に入れられなかったことに気づき、ダンサーと息子を殺し、庭で見つけたズムルンと商人を殺そうとする。そこに演奏家が現れ、その2人を守るために族長を殺す。族長が死んだことによってハーレムの女性達、ズムルンと商人は解放される。演奏家はそのストーリーを語り継いでいくようになる。

映画を駆動するのは宮廷に外部から強制的に女を連れてくるという族長による宮廷への引力となっている。その引力に従う人物としてダンサーがおり、その引力に抗おうとする人々としてハーレムの女性達とズムルンがいる。宮廷のさらに中心には族長の寝室があるが、宮廷まで引き寄せられた人々もそこには近寄ろうとしない。そして、その中心は引力によって付随的に侵入してきた演奏家をきっかけに内部から破壊され、女性達はその権力的な引力から解放される。

それまでの宮廷内部と外部の間に境界が置かれていたのに対して、クライマックスではズムルンと商人が結ばれた宮廷の庭と悲劇の起こる族長の寝室の間に境界が移動する。そしてその移行に伴い宮廷の庭は幻想的に寝室は物々しく象徴的に撮られる。宮廷の深部に入り込むことによって非現実的な空間に入っていく。その後に続く、中心である寝室を深淵のように映すショット、そこを覗き込み目撃してしまう演奏家、それをトリガーに引き起こされる悲劇、中心に対する外部として存在する族長のいない宮廷の庭の幻想的な光の感覚、そこに異物のように現れ排除される族長、遂に宮廷から解放される女性達というラストのシークエンスが最高に良い。

インタータイトルが最小限で、その分の情報量を登場人物の動きによって担保している。インタータイトルなしでもわかりやすくするためか、会話は明確にカメラの前で人が出会うことでしか発生しないし、会話の内容は登場人物達のジェスチャーと表情で示される。インタータイトルを登場人物達の動きで置き換えているのに対して、それらの制約に加えて3つの地点を行き来する映画になっているため、一つの会話が行われるために必要な人物達の移動量が非常に多く、それに使う時間も非常に長い。

ムルナウの『最後の人』ではインタータイトルを演出的な工夫によって消去していたのに対して、この映画では役者が動き回ることでそれが行われている。この監督の他の映画と比べても演出の手数も少なく、かなり一本調子な映画のように感じる。ただ、そもそもが移動についての映画であり、会話に必要な動きや時間の多さも族長の目を逃れつつ会話をしなければいけない登場人物達を反映してるように感じる。

追記: そもそもパントマイムで行われていた演劇を映画化したものだったらしい。会話を動きに置き換えたのではなく、そもそも動きで行われていた会話をそのまま映画に持ち込んだということなのかもしれない。
まーまー面白かった。Wヒロイン制を採用しており、ズムリンと大道芸人のダンサー(ポーラ・ネグリ)のシークエンスが交互に語られる感じ。
ふたりが交わらないな と思いながら見てると最後の最後でやっと交わる。

ルビッチだけどもコメディ色はほぼゼロで、暴君の首領の恐怖の中、愛し合うものたちを描いている。
ルビッチ本人がなんとせむし男役(出番めっちゃ多い)で出ているので注目ダゾ!
中間字幕がほぼゼロなのが素晴らしい。
ズムリンとイケメン織物商の出会いのカット割りが絶妙。

コトが起こっているさなか、それを隠れて物陰で盗み見る人物が必ずどのシーンにも配置されており、それによってコトがどんどん複雑になっていくのが面白い。
先が読めるかどうかでいったら、全く読めない。

人と人が愛ゆえにくんずほぐれつの絡み合いを見せるシーンがとても多かった。
神代辰巳の映画みたいに人が人にすがりつく。