ニューランド

母を恋はずやのニューランドのレビュー・感想・評価

母を恋はずや(1934年製作の映画)
4.2
【スマホ故障、修理前·未完下書き仮アップ↪️継足し】

✔️『母を恋わずや』(4.2)及び『霧笛』(3.6)▶️▶️

 ここに書くようになって5年経つが、一度も小津の事に触れた事はない。その前を考えれば10年はその監督作を観ていない。そもそもいい年して、小津を少しは知ってるのか、ということだ。映画を意識的に見始めた半世紀前、小津は日本人監督で誰よりも神格化されていた。それから10数年にか、世界への遅ればせながらの輸出で、あっという間に映画史上の最大巨人と、国際的に認知された。
個人的に守備範囲外の人だが、戦前最もノッテた時期の1本を、当然21世紀になっての空気で見直すと、映画史上、いや世界文化史上、最も完全·完璧な存在を思い知る。頑なにそのスタイルを貫いてる? いや、刻一刻、彼は自己のスタイルを更新をしなくはないのだ。ただ、現実を受け入れ、自己の感性を吟味し、余計な邪念や贅肉を、どんどん削り、核へ堀込んでいいくのに、検討を慎重·正直に·周りの周囲に流される人間からは遅々たるペースで進んでくものだから、反射的に何時まで経っても変わらないなぁ、という印象も持たれかねない。しかし、吟味は真実と社会を必ず通過しての判定と↪️【継足し】
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それに比べると、水谷の圧倒的個性とおぞましい密度·充満度と抽象化の自在綱渡りの美術、縦横自在の長く魅惑的カメラ移動、暗めで照明のポイントの惹き付け、アクションや絡みの肉薄する造型と粘り、切返しや対応·リズムと弾力·造型を強めるデクパージュ、の久しぶりついでに観た村田作品は、現代のラインナップにおいても通用するような、明治初めの有色を人扱いしない無慈悲な毛唐が支配階級ごときの横浜で、名うての暴れん坊も従わされてる分には面白いが、世界標準のそれにちゃんと合ってるくらいで、真の作家個性にはやはり欠ける。こってり、艶がよく、密度や張り詰めもいいが、やはりこの作家は内実は薄い。↪️【継足し】
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