しゆあ

オープニング・ナイトのしゆあのレビュー・感想・評価

オープニング・ナイト(1978年製作の映画)
4.0
愛に狂わされた女優

芸能に人生を捧げてきた女優マートルが、今度演じることになった演劇の中で、自分の中年クライシス問題に直面し葛藤する。今こんなものを映画で描いたら怒られること百間違いなしの統合失調罹患シーンへ。葛藤の末、女優魂からか、寛解。クソ男優、劇作家老女&おぢたちをガン無視し、本番での即興を通じて、見事に答えを見出す。大団円。あまりにもマートルの力業すぎる展開の数々に、終始茫然としつつ見入っていた。は?(口が開きっぱなしの猫ミーム)という感じで。ジーナの激越な演技に食い下がり、映像表現の上に結実させたカメラの巧さといったら本当に凄かった。物語は正直そこまで好きじゃない。

マートルは、同時に降りかかってきた役者と年齢の二つの危機を、舞台上での成功によって乗り越えた。
この二つの危機はいずれも、年を取った自分が他人からどのようにすれば愛されるか、という問題に集約さらる。つまり、クソ男優たちと観客たちから、である。そこでマートルは、愛というものの認識を改めることによって解決を見た。都合良く愛され、愛想の良さやユーモアで応える女、そして脚本の隷属になることで拍手を受ける女優。この二つの、マートルを抑圧してきた他者からの慾望を跳ね除け、年齢を受け入れ、別の愛の形を見つける。
ただ、手放しで喜べる結末ではないのではないか。ここで問題に思えるのは、精神疾患に陥ったマートルが、あくまでも女優として成功することに拘りつづけることで寛解に至った点だ。70年代という時代のせいもあるのだろうが、明らかに精神疾患になったマートルをみて、往年の仲と思われる仲間たちはそっぽを向いて冷たくあしらう。それが舞台上で復活したのを見て、彼女を歓待するようになる。女優として求められるかどうかという愛の与件がマートルを未だに拘束し続ける。観客は、この点をどう捉えるかによって、女優魂の凄まじさに感嘆するか、女優としてのアイデンティティの重さに同情するか左右されるのではと思はれる。
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